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2005年01月19日(水) なれそめ(前編)

「で、例の彼とはその後どう?」
駅に向かって歩きながら、彼女に尋ねる。昨春、四十路を前に結婚相談所に入会したもののなかなか事がうまく運ばなかったのであるが、先月からある男性と逢瀬を重ねているのだ。
毎回デートの終わりには次の約束をする、相談所からの新たな紹介もストップをかけている状態、と聞いていたので、順調に進んでいるのだろうと思っていた。
が、それにしては彼女に浮き足立ったところが見られない。訊けば、いまひとつテンションが上がらないという。
「ときめきがないんよねえ。早く会いたいとか一緒にいたらどきどきするとか、そういうのが」
「えー、つきあってひと月っていったら一番楽しい時期やろ」
「淡々としてるというか、妙に冷静な自分がいるんよ。恋愛初期っていつもこんなやったかなあ?長いことご無沙汰してるうちに忘れてもうたわ」
しかし、相手にとくに不満があるわけでも、いざうまくいきそうになったら怖じ気づいてしまったというわけでもないという。しばらく考えたあと、彼女は「出会い方の問題なんかも」とつぶやいた。
用意された“結婚したくてたまらない男性のリスト”の中からなんとか相手を見つけようとしている自分に萎えているのかもしれない、と言うのだ。
ペーパー上でめぼしい人をピックアップし、親との同居の可能性、離婚経験者には子どもの有無といった紹介書には載っていなかった重要項目を会って確認する。たとえ人柄に好感を持っても、彼が自分の条件に合っていなければ再び会うことはない。彼女が三十万円も出して入会したのは「恋愛」相談所ではないのだ。それは相手にとっても同じである。
しかし、そんなふうに「結婚ありき」で男性を選別することが、あるいは選別されることが空しくなることがあるらしい。相談所の一室で膨大な数の男性のデータを眺めていると、「こうまでしなくては縁にめぐり会えないのは、自分の人生はひとりで生きていくようにできているからではないだろうか」と思えてくるのだそうだ。
「考えてみれば、こんな不自然な出会い方ってないもんね。明日にも結婚したいって男と女ばかりが集められてて、互いにそこから見繕おうとしてるんだから」
いまさらそんなことを言っているのかと驚きつつ、私は尋ねる。
「じゃああなたの言う自然な出会いってどういうの?たとえば○○ちゃんみたいなののこと?」
共通の知人の名を挙げる。電車で座って本を読んでいたら、突然網棚からカバンが落ちてきた。前に立っていたサラリーマンのもので、「きゃっ!」「す、すみません。大丈夫ですか」から「あ、ページが折れちゃいましたね。お詫びにお茶をごちそうさせてください」となり、彼女はその男性と付き合うようになったのだ。
「そこまでは望まないけど、そういう偶然の要素は相談所からの紹介にはないもんね。いかにも作られたというか、人工的な出会いというか」
ここで、とうとう私は声をあげた。
「あのねえ、出会いに人工も天然もないの!」
そのときその場所にふたりが居合わせた、それはまぎれもなく何十もの偶然が重なり合った末に誕生した場面。なにかが一秒でも先か後かに、あるいは一ミリでも右か左かにずれていたなら、存在しなかった。
男と女のそれに限らず、すべての出会いは奇蹟と呼んでもいいくらい絶妙なタイミングの上に成り立つ、尊くかけがえのないものなのだ。
偶然と偶然を掛け合わせたら、答えは「必然」。人為的に作り出された場面のように見えても、そこで発生した出会いのひとつひとつは網棚からカバンが降ってくるのと等しく運命的なものなのである。
「それに、他人にお膳立てされた場所での出会いを偶然性の乏しい人工的なものだっていうなら、私だってそうだよ」
「えっ、小町ちゃんとこはお見合い?」
彼女は意外そうに言った。首を振る私。
「夫と出会ったのはカップリングパーティーだもん」 (つづく