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2004年12月22日(水) もう、無料ではない(前編)

十二月二十日付の新聞で、夫の仕事の関係で春からアメリカに住んでいるという三十代の女性が書いたこんな文章を読んだ。

小学二年生の娘は日本では登下校はもちろん、習い事や放課後に遊びに行くときもひとりで行動していました。しかし、当地の子どもたちは親の車かスクールバスで学校に通い、大人は子どもの安全を守るために常に彼らに目を配っています。ここミシガン州では十三歳未満の子どもに留守番をさせることも法律で禁じられているのです。
先日一時帰国した際、子どもたちがひとりで出歩いている光景を見て、とても無防備だと感じました。自治体がスクールバスを運行するなどして、彼らをなるべくひとりにさせないようにすることはできないものでしょうか。卑劣な犯罪から子どもを守るには、「目を離さないこと」がなによりも大事だと思います。


子どもの保護義務に関して、欧米の親と日本の親とではずいぶん意識が違っている、という話は聞いたことがある。
イギリスでは、たとえ学校から三十秒のところに住んでいても、子どもは八歳になるまでひとりで帰ることは許されない。その年齢に達しても徒歩で帰るためには届け出が必要で、それがないと家族が迎えに来るまで学校で待っていなくてはならない。
また、法律は十四歳未満の子どもだけで家に置いておくことも禁じている。社会福祉局に知れたら児童虐待で子どもを取り上げられるし、留守番中の子どもの身に何かあったら親は逮捕されてしまう------という内容だ。
日本人の感覚ではにわかには信じがたい話である。これでは親は子どもの送り迎えに毎日相当の時間を割かねばならないし、留守番をさせることもできないとなると共働きなど無理ではないか。
そう思い、ロンドン在住の友人に真偽の程を確かめたところ、規定は自治体によって多少違うみたいだけど、と前置きしてから、
「僕も周囲の同僚も、子どもがひとりで通学するのは十二歳になってからという認識。それまではスクールバスの係員に渡すところまで親が付き添わなくちゃいけない。十二歳未満の保護者なしの外出がご法度なのはたしかだよ」
と話してくれた。
日本では子どもがひとりで留守番やおつかいができると、大人は「えらかったね」と褒める。私たちはそれを成長の証として喜ぶ。しかし、アメリカやイギリスで同じことをしたらネグレクトとみなされ、警察に通報されてしまうのである。
母親が買い物に行っているあいだに子どもがベランダから落ちたとか火事を起こしたという話はちょくちょくあるが、私たちは「そらそんな小さい子をひとりにしたらあかんわ」くらいのことは言っても、児童虐待とはみなさない。わが子を亡くした母親が逮捕されることももちろんない。この違いを生んでいるのは何なのだろう。

心に浮かぶのは、数年前バンクーバーからシアトルにレンタカーで入ったときのこと。入国審査の順番待ちをしていた私はなにげなく事務所の壁に目をやり、心臓が凍りついた。「Missing Children」という題字と子どもの写真が刷られた張り紙が一面に貼られていたからである。
愛くるしい笑顔に添えられた、「この子は何月何日に行方不明になりました」という一文。写真ごとに氏名、性別、生年月日、身長、体重、髪と目の色、最後に目撃された場所などの情報が記載されており、その生々しさに鳥肌が立った。
失踪してから数年が経過している子どももいる。どこかで生きているのか、それとももう死んでいるのか……。
私は言葉を失い、壁の前で立ち尽くした。
そして、とてもいぶかしく思った。ここには大勢の人がいるのに、どうして誰ひとり貼り紙に関心を示さないのか。
「こんなにたくさんの子どもがいなくなってるんですって!」
列に並びながら楽しげにおしゃべりしている人たちにそう言って回りたい衝動に駆られたが、ふと思った。
アメリカの牛乳にはパックの側面に行方不明の子どもの写真が印刷されている、というのは有名な話だ。毎朝冷蔵庫から牛乳を取り出すたび、あどけない笑顔の子どもに「Have you seen me?」(私を見かけなかった?)と問い掛けられるのである。私ならパンがのどを通らないのではないかと思うのだが、あちらの人にとってはおそらくこういう掲示広告は見慣れたものなのだ。“Missing Children”はすでに人をぎょっとさせられるほど奇怪な事態ではなくなっているのではないか、と。
あちらには、「鍵っ子」にあたる言葉も『はじめてのおつかい』というテレビ番組も存在しないであろう。 (後編につづく)

【あとがき】
行方不明といっても誘拐だけではないとは思う。家出や、離婚の多い国のことだから親権者でない親が連れて行ったということもあるでしょう。それでも、日本とは比べものにならないくらい児童ポルノなんていうものが横行している国であることやなんかを考えてしまいます。愛くるしい笑顔の写真に「Missing Children」の文字はあまりに似つかわしくなく、背筋を寒くさせるものがありました。