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2004年11月26日(金) 鍋料理不可の人

職場に週二日勤務のパートの女性がいる。固定の机がなく、毎回空いている席に座ることになっているのだが、彼女は出勤するとイの一番にすることがある。
ウェットティッシュで受話器とキーボード、マウスを拭くのである。業務中には見せたことのないような真剣な面持ちで、キーとキーの隙間まで十分くらいかけて丹念に磨いている。
「人が使ったあとのものってあんまり気持ちよくないでしょ」
ということだが、終業後に彼女がそれらを拭いている姿は見たことがない。
さて、誰かと話していると、「へええ、そんなことが気になるのか」と驚くことがしばしばある。このところ病院通いをしている友人は、そこのスリッパを履くのが嫌でたまらないという。そこではスリッパが一組ずつ重ねられてある。つまり、片方のスリッパの裏側がもう片方の足を入れる面に接しており、これでは床を靴下で歩くのと変わらないじゃないか!というわけである。なるほど、言われてみればその通りだ。
携帯の液晶に付着した顔のアブラが許せないという話を聞いたときも、思いも寄らなかったことなので感嘆してしまった。酒井順子さんも「脂性の人に携帯を借りなくてはいけないときはつまむようにして持ち、顔から五センチ離して使用する」とエッセイに書いていたし、それを不快に感じている人は少なくないらしい。
「人の握ったおにぎりが食べられない」「病院に置いてある雑誌には触れない」「古着は気持ち悪い」といった声も耳にする。こうしてみると、潔癖症ではないけれど生理的に受け付けない事柄をひとつふたつ持っている、という人はかなり多そうだ。
かく言う私は、公衆トイレの便座に直に腰掛けることができない。
こういった誰かの「これが嫌、あれが気持ち悪い」のほとんどは文字通り、他人事である。仮に友人が吊り革を持てず、電車の中ではいつも仁王立ちという人であっても、私の生活にはなんの支障もない。
とはいうものの、身近に該当する人がいるとちょっぴり残念だなと思うこともないわけではない。
仲良しの同僚六人と、ホットペッパーをめくりながら忘年会の店探しをしていたときのこと。「体が温まるものがええなあ」「じゃあ鍋にしよ」という話になり、チャンコかしゃぶしゃぶか、それともおでんかすき焼きか、と盛りあがりかけたところ、ひとりから“待った”がかかった。
「できれば鍋じゃないほうがいいな」
すっかり忘れていた。彼女は鍋がダメな人だったのだ。
居酒屋などで大皿に盛られた料理を何人かで食べるとき、誰からともなく「自分のお箸、使っちゃっていい?」と声があがり、「いいよー」となるのがほとんどだ。しかし、彼女はそれが苦手なのだ。
そのため、彼女と一緒のときは店の人に取り分け用の箸をお願いする。銘々が箸をひっくり返して使うという手もあるけれど、私はあまり好きではない。箸のてっぺんが汚れていると見た目に悪いし、下のほうを持たなくてはならないので食べづらいから。
“他人の唾”に神経質な彼女が、何人もの人間がねぶった箸を突っ込み合う鍋など食べられるわけがない。忘年会は以前から行ってみたいねと話していた、「自家製ピザが自慢」のイタリアンレストランに決まった。

というわけで、私は鍋料理大好き人間である。しかしながら過去に一度だけ、「勘弁してえ」と心の中で叫んだことがある。
独身の頃、同僚と料理持ち寄りのクリスマスパーティーをした。女だけの集まりに手作りのものを持参する者などなく、テーブルにはデパ地下の惣菜やケンタッキーのチキンが並んだ。
「惜しむべき労は惜しむ。うーむ、さすが」と感心していたら、ひとりが紙袋の中からタッパーを取り出した。おっ、もしや手料理?
「わあ、なにそれー」
「うん、こないだ友達と鍋したときのダシ、冷凍しといてん。雑炊作ったらおいしいと思って」
サークルのコンパや職場の飲み会で、それほど親しいわけではない人たちとも鍋をつついてきた私であるが、「自分不在の場で食された鍋の残り汁」はさすがに不可だ。

【あとがき】
神経質といえば、柴門ふみさんのエッセイに、家に泊まりに来た友人に「着替え持ってこなかったからパンツ貸して」と言われて貸したことがある、という話がありました。その友人は「ちゃんと洗ってあるんでしょ。なら平気だから貸して。私、神経質だから、二日同じパンツ履けないの」と言ったそうだ。“神経質”にもいろんな種類があるのね……。