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2004年11月24日(水) 悲しい心当たり(後編)

私は見合いをしたことがないし、この先の人生に「メル友とご対面〜♪」なんてシーンが用意されているとも思えない。それなのに彼女の話を聞いてこんなにも胸が締めつけられるのは、私も一緒にいる人のテンションの変化に疎いほうではないからだろうか。
「人を見た目で判断する人なんて、こっちだってノーサンキューや」
「ちょっとぉ、それでフォローしてくれてるつもり?」
たしかにフォローになっていない。同じ断られるのでも内面と容姿、どちらでアウトにされるのがよりつらいかといえば、私なら間違いなく後者だ。なぜなら、多くの人は恋人を探すにあたり、性格の不一致やフィーリングの悪さに目をつぶることはないが、容姿にはそこまでうるさくないからだ。
内面の好みはそれこそ千差万別だから、「俺、気の強い女性ってだめなんだ」「もっとこう、家庭的な雰囲気のコが……」と言われても、好きになる相手を間違えちゃった、と自分を納得させることは不可能ではなさそうだ。しかし、「見た目がタイプじゃなくて……ごめん」には立ち直りがたいショックを受けるだろう。
もちろん、馬鹿正直にそんなことを言う男性はいないと思うが、彼が気を遣ってどんなふうに取り繕ってくれたとしても、本当の理由は伝わってくるものである。書類審査で落とされては敗者復活戦を企てる気力も失う。
彼女と同じ状況に置かれたら、やはり私もみじめさのあまり一刻も早く彼の前から消えたくなるにちがいない。

ある日、自分に対する恋人の気持ちが右肩下がりになっているのに気づく。
「どうして?いつから?」
記憶の糸をたどっていくと、ある出来事にぶつかる。“それ以前の彼”と“それ以後の彼”を間違い探しの絵のように隣に並べ、比べてみる。彼は変わってなどいない、私の思い過ごしだ、と確認したくて。
……なのに。
「あ、ここがちがう。あら、あそこもちがう。そういえばあんなこと言い出したのはこの頃からだった」
そうか、あれがきっかけになったんだ……。愕然とする。
この“心当たり”はこちらのなにげない一言であったり思い高じての振る舞いであったりさまざまだけれど、「そんなつもりじゃなかったの」と弁解してもたいていは時すでに遅しだ。
悔やんでもしかたがない。これから自分にできることを考えよう、と思う。しかし、マグカップをどれだけ手の平で包んでみたところで、コーヒーが静かに温度を下げていくのを止めることができるだろうか。どんなにゆるやかであっても、相手の気持ちが下降曲線を描きはじめたら、あとは時間の問題だ。
彼自身、気持ちの変化に戸惑っているのだろう、こちらにそれを気取られまいと変わらぬ笑顔をつくろうとするけれど、そんな姿を見ているうちに「苦しめてはいけないな」と思うようになる。
自分が「あれが境になった」と思っている出来事が本当にそうなのかはわからないが、それが当たっているかどうかにもはや意味はないだろう。それでも、この悲しい心当たりはどれだけ時が経とうと、鈍痛として胸に残りつづける。
いまでも時々、失望させてしまったことに対するすまなさがよみがえり、言い訳したくなることがある。
「あれでも、めいいっぱいすみやかに解放したんだよ」
そんなこと、もう誰も気にしちゃいないと知りつつも。

【あとがき】
「許してね」というのは、なにも「私が悪かったの、ごめんなさい」という卑屈な気持ちからのものではありません。とても大切な人だったのに、自分自身の実力不足(魅力不足)で彼を長く幸せでいさせてあげることができなかったことに対する申し訳なさと無念です。私は自分を卑下する者ではないけれど・・・彼は私には過ぎた人でした。