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2004年08月06日(金) もしあなたがそんな人だったら、私は

昨日の朝刊に五十代の主婦から寄せられたこんな手紙が載っていた。

二十代後半の娘には付き合って四年になる恋人がいますが、彼が職場の女性と一度だけ関係を持ち、相手が妊娠しました。彼は彼女と結婚する気も子どもを認知するつもりもないと言いますが、女性は産みたいの一点張りです。
娘は彼をあきらめなければならないなら死を選ぶと言い、現在も付き合っています。母親としてどうすればよいでしょうか。


人生相談のコーナーに明るい話を期待できないのは百も承知であるが、朝から実に不快な気分になった。
理由はいくつかあるが、最大のポイントはやはり、男性のあまりにも身勝手で無責任な態度。子どもができたからといって、愛情もないのに結婚するのがあるべき責任の取り方だとはまさか思わないが、「認知する気はない」にはどの口がそんなことを言えるのかと言いたくなる。
今後の話し合いで折り合いがつかず、最終的に「産む」という選択がなされることになったなら、彼には背負わねばならないものが発生するはずだ。相手の妊娠が「事故のようなもの」であったとしても、彼は自分の行為に対する責任を取らねばならない。
だから、この相談を読んで私がもっとも気になったのは、この「結婚する気も認知するつもりもない」をこの相談者の娘はどんなふうに聞いているのだろう?ということだ。
彼女の立場からすれば、恋人が他の女性を妊娠させるというのは考えうる限りで最悪と言ってよい事態であろう。その巨大な困難の前には「一夜の過ち」自体は相対的に小さなこととなり、許せると思えるかもしれない。彼を奪われるかもしれないという恐怖の前には裏切られた怒りも悲しみも霞み、水に流せる気がするかもしれない。
しかし、自分が父親であることを認めるか、認めないかが子どもの人生に多大な影響を与えることを知りながら、「俺は知らない、産んでも認知しない」と言ってのける彼に不安を抱かずにいられるのだろうか。
この非情さは時が経てば自分にも向けられるようになるのではないか……。そんなことが頭をよぎらないのだろうか。
これはなんの理由もなく降って湧いた災難ではなく、文字通り、彼が“撒いた種”だ。人間だから過ちを犯すこともあるだろう。しかし、こうした事態にどう向き合うか、どう対処するかに人の真の姿が現れる。
「もし彼が妻や子を捨てて私のもとに来るようなら、そんな冷酷な彼を私は愛さない」
これを瀬戸内寂聴さんは妻子ある男性と過ごした八年間、心の中で繰り返したという。彼が愛すべき人である限り、決して自分のものにはならないという皮肉、哀しさ。それでも、自分の中のなにかがその言葉を捨てさせないのだ。
この「そんな人だったら愛さない」はこの娘の中には存在しないのだろうか。

さて、話はがらりと変わって。
『われ思ふ ゆえに・・・』はしばらくお休みをいただきます。八日から旅行に出かけるためです。というわけで今年もやります、絵ハガキ企画!
オーストラリア、中国、北欧につづき、第四弾となる今回はスイス。アルプスの大自然、エーデルワイスの花畑、本場のチーズフォンデュを存分に味わってくる予定であります。
「す、すごい……」「小町さんらしい」と毎度みなさんを唖然とさせる絵ハガキです。
どんなのかしらんと興味の湧いた方、どしどしご参加ください。移動中やホテルの部屋で夜、電気を消す前の隙間時間を使って書きますので、遠慮はご無用。明日(七日)の正午までにメールで必要事項をいただけましたら、ハイジの世界からあなたのポストにラブレターをお届けいたします。
これが出発前の最後の更新になるかもしれないので、一応あいさつしておきます。
気をつけて行ってまいります。みなさまもどうぞよいお盆をお過ごしください。

【あとがき】
私の友人に、新聞の相談と同じ苦悩を味わった女性がいます。ふたりは泣きながら別れ、彼はその女性と結婚。友人は長い間、「相手の女性より子どもが百倍憎かった。私から彼を奪ったのはその子ども」と思っていたけれど、自分も結婚をした今、憎しみは跡形もなく消えたそうです。いつかどこかでその子を見かけることがあったなら、「私、あなたのお父さんのことが本当に好きだったのよ」と心の中で語りかけると思うと言っていました。彼女は昔話として笑顔で話していたけど、私は泣いてしまいました。