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2004年07月14日(水) 勘弁してあげる。

週末は夏恒例のバーベキュー大会だった。
夫の会社には社員が家族や恋人を連れて参加する行事が年に何度かあり、私はそれらをかなり楽しみにしている。夫がバーベキューの幹事を担当した回は当日早起きして、数十人分のとうもろこしを湯がいたりソーセージに切り目を入れたり、とはりきって下ごしらえをしたものである。
この会は炭に火を起こすところから片づけまですべて男性が仕切ってくれるため、妻たちはビールを飲みながらおしゃべりしていれば、じきに「焼けたぞー!」と声がかかる仕組みになっている。
しかしながら、家庭科の調理実習以外で包丁を握ったことがないという人を夫に持った私にとって男性が料理をする姿はもの珍しく、始終炉の横に張りついてその仕事ぶりを観察してしまう。四年前に初めて参加したとき、男性だけでちゃんと焼きそばを作ったことにとても驚いたものだ。
なんて言ったら、そんなの常識だろう!と叱られてしまうだろうか。
しかし、夫に「この材料で焼きそば作ってみて」と言ったら、なにもかも一緒に鉄板にのせてしまいそうである。ケーキを焼いたことのない女性がバター、砂糖、玉子、小麦粉を前にしても、なにをどうすればよいのかわからないのと同じに。
週末は一緒にキッチンに立ちたい、なんてことは望まないけれど、嬉々として“バーベキュー奉行”を務めている男性を見ながら、一生にいっぺんくらい夫の手料理を食べる機会があってもよいなあと思った。

過去にお付き合いした男性の中にひとりだけ、料理好きの人がいた。
といっても、グルメとか味にうるさいとかいうのではなく、自炊が苦にならないという意味だ。私はこの彼に「二ヶ月」というスピード失恋をしたため(もちろん私の恋愛史上最短記録だ)、思い出は数えるほどしかないのだけれど、とっておきの記憶がひとつある。
ひとり暮らしをしていた部屋に彼が初めて訪ねてきたとき、私ははりきって夕食を作った。
その頃私は惣菜メーカーに勤めており、月に二度、外部からシェフを招いての料理講習会に参加する機会があった。イタリア料理の回ではフェットチーネ(きしめん状の幅広パスタ)から作ったり、ジビエ(野禽)料理の回ではウサギの血を使ってソースを作ったり、とわりと本格的に習ったのであるが、彼が来たときには前の週に習ったばかりの和食メニューを再現した。
女性にはわかっていただけるだろう、初めて手料理をごちそうするときのどきどきを。和風のねぎソースをたっぷりかけた豚肉の唐揚げに彼が「うまい!」と声をあげたとき、私は思いきり相好を崩した。
とはいえ、冷静に考えたら、これは狂喜乱舞するほどのことでもない。そのシチュエーションではたいていの男性がそう言ってくれるものである。私が思わずうるっときたのは、「うまい」のあとにこんな言葉がつづいたからだ。
「ねえっ、この作り方教えて!」
こんな反応が返ってきたのはもちろん初めて。これには感激した。「そんな大層なメニューとちがうよー」と大いに照れながら、「おいしい」を十回言われるよりうれしいと思った。
その後まもなく、「仕事が忙しくて、小町ちゃんの彼氏を務められそうにない」と言われて私は振られてしまうのだが、この出来事はいまでも私の顔をほころばせるすてきな思い出だ。

それから六年後、サークルの創立記念パーティーで私たちは再会した。
別れた人とは音信不通になるのが常なので、彼が毎日のように午前様だった会社を辞め、地元に戻って転職していたことを初めて知った。いまは十も年下の彼女と仲良くやっているとのろけてもくれる。それから、私がワンピースにつけた名札に視線を落とし、「名前、変わっちゃったんだね」と言った。
私はふと、あることを尋ねてみたくなった。
「ねえ、ひとつ訊いてもいいかな」
「なんだろう」
「私って、あなたの中で“元彼女”としてカウントされてるの?」
若気のナントカというやつだろう、体当たりの告白で彼に考える間を与えなかった、というのが実際のところ。私の中にほんのちょっぴり負い目のようなものがあったのかもしれない。
が、私のその卑屈ともいえる質問に彼は気色ばんだ。
「そんなの、当たり前じゃないか!」
反応によっては、「ほんとは最初からそんなに好きじゃなかったんでしょ」って、もっと困らせてやろうと思ってたんだよ。だけど、勘弁してあげる。
「なにを言い出すのかと思ったら……」とぷりぷりしている彼の隣りで、私は満面笑みでうなづいた。

【あとがき】
週末に一緒にキッチンに……とはとくに望まないけれど、夫が「食」にもうちょっと興味のある人だったら、と思うことはあります。「晩、なにが食べたい?」と聞いて、リクエストが返ってきたことはないですね。味にうるさくないのは私にとっては都合がいいけど、いつも「なんでもいいよ」じゃあちょっと張り合いがない。あれ食べたい、これ食べたいと言ってくれる人なら、スーパーに買い物に行くのももっと楽しいかな?なんて。