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2004年02月11日(水) 「阿部定」考(後編)

この事件について書かれたものを読んでいると、「愛が高じた果ての犯行」という言葉によく出くわすが、いつも違和感を覚える。もちろん筆者は定の行為を許されることではないとしているが、しかしそこまでひとりの男を愛したという点については一目置いているような印象を受けるからだ。
(以下、定の心情を正確に伝えるため、証言は意訳せず予審調書から抜粋する。少々読みづらいが、ご勘弁を)

私はあの人が好きでたまらず自分で独占したいと思い詰めた末、あの人は私と夫婦でないからあの人が生きていれば外の女に触れることになるでせう。殺してしまえば外の女が指一本触れなくなりますから殺してしまったのです。


定が吉蔵を殺めた動機は、これ以上ないほど幼稚で身勝手なものである。愛が高じた果ての、というなら、いま流行りのストーカー殺人だってそうではないか。では、いったいなにが人々の同情を引く要因となっているのか。
ひとつは、定が美人であったこと。連行されるときのにっこりと笑みを浮かべた写真を見たことがある方もおられるだろう。
このテキストを書くにあたって予審調書をすべて読んだが、定の「情交」への執着はおぞましささえ感じさせるものだった。その後の精神鑑定で彼女は先天的なニンフォマニア(淫乱症)であると診断されているが、少しも驚かない。しかし、見た目は地味ではかなげで、そんなふうにはとても見えないのである。
そしてもうひとつ。こちらが主要な理由であろうが、定が切り落とした一物を後生大事に持っていたことである。
なぜ性器を切り取り持ち出したのかという問いに、「一番可愛い、大事なものだから」と答えたエピソードは有名であるが、彼女はそれをきれいに洗い、ハトロン紙に包んで吉蔵の六尺褌とともに身につけていた。この部分が人々の同情心を喚起し、「純愛」「究極の愛」といった表現につながっていると思われる。
もし定が吉蔵の首を絞めて殺しただけでそれを切り落としていなかったら、人々の彼女に対する感情はまったく別のものになっていたのではないだろうか。

石田は始終「家庭は家庭、お前はお前だ家庭には子供が二人もあるのだし俺は年も年だから今更お前と駈落する訳にも行かないお前にはどんな貧乏たらしい家でも持たせて待合いでも開かせ末永く楽しもう」と言って居りました。然し私はそんな生温いことでは我慢出来なかったのです。


定の人生を変えてしまった十五歳のときの処女喪失の経験、「私の一番好きなあなたが死んで私のものになりました。私も行きます」という吉蔵宛ての遺書など、同情を引く要素がいくつかあることは否定しない。
しかしそれを差し引いても、ひとりよがりな思いに歯止めをかけられなかったこの女性を「愛に従順に生きすぎた」だの「究極の愛を求めた」だのと美化するのは、私には理解できない。

ところで、ここまで書いてきたこととは別にもうひとつ考えていたことがある。
定は予審判事にこう述べている。

男に惚れた余り今度私がやった程度の事を思ふ女は世間にあるに違ひないのです、ただしないだけのものだと思ひます。恋愛の為止むに止まれず今度私のした様な事件になるのも色気違ひばかりではありません。


永遠に自分のものにするために男を殺し、局部を切り取り持ち去るという一連の行為が「色気違ひゆえ」であるのかないのかは私にはわからない。
が、それは脇に置いておき、私は考えてみた。もし自分が愛する男の「分身」として持ち出すとしたら、からだのどの部分だろうか、と。
私がもっとも愛着を感じる部分、一番可愛い、大事な部分。私の場合、それは性器ではない。手だ。手の平だ。
髪をなで、頬を包み、抱きしめ、愛撫する。「愛情」という目に見えないものを形あるものにして私に伝えてくれたのは、いつも手の平だった。
定は「それを身につけていたら石田といつも一緒にいるようで、寂しくないと思った」と語ったが、私がもっとも離れがたくそばに置いておきたいと思うのは、利き腕の手首から先であるような気がする。
……おっと、いけない。二日にも渡って調書を読みふけり、定の心情をあれこれ想像していたら、私までどうかしてしまったみたい。このへんにしておこう。

【あとがき】
連行されるときの定の笑顔。不可解です。良心の呵責にさいなまれながら逃げ回っていた犯人が捕まったときに「ほっとした」と言うことがありますが、あの笑顔はそれとは違うような気がしました。彼女は死ぬつもりだったわけだから、ああいう場合は捕まってしまって吉蔵の後を追えなくなったことを悲しむものではないのだろうか……と想像するのだけれど。あの表情はどこからくるのか。私はあの笑顔に定の狂気の一端を見たような気がしたのです。