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2004年02月10日(火) 「阿部定」考(前編)

『永遠の恋物語』(テレビ朝日)という番組がある。「歴史に残る大恋愛」をテーマに、これまでの放送では太宰治やマリリン・モンローの恋を取り上げてきたが、今回は「阿部定」。
あいにく夕飯の支度をしながら片手間にしか見られなかったのだが、「阿部定事件」については以前から思うところがあったので書いてみたい。

事件のあらましはこうだ。
昭和十一年五月十八日、東京荒川区の「満佐喜」という待合宿の一室で、男の死体が発見される。三日前から泊まっていた男女ふたり連れのうち女のほうが買い物に出たまま帰ってこないため、不審に思った女中が部屋に入ってみると、連れの男が血まみれになって死んでいたのだ。
男は腰紐で首を絞められており、局部が根元から切り取られていた。布団の敷布に鮮血で「定吉二人キリ」と記され、男の左太腿にも「定吉二人」の血文字。左腕には「定」と刃物で刻まれていた。
二日後、女は品川駅前の宿に潜伏していたところを逮捕される。名は阿部定、三十一歳。男は中野区新井の料理屋の主人、石田吉蔵(四十二歳)とわかった。
定は神田の畳屋の娘で小さいときから近所でも評判の美少女だったが、十五のときに男に騙されて処女を喪失。「ヒビの入った身体だし、こうなった以上はどうともなれ」(予審調書より)と自暴自棄になって娼妓となり、遊郭を転々とする生活を送るようになる。そののち吉蔵の営む料理屋に住み込みの女中として入り、ふたりはすぐに懇意になった。
ほどなくその関係は吉蔵の妻の知るところとなり、ふたりは家を出る。が、待合宿を泊まり歩くうち、定はどうしたら吉蔵と一緒に居られるかということしか考えられなくなってしまう。そして吉蔵が「いったん家に帰る」と言い出した夜、凶行に及ぶ。

この事件は当時、その猟奇性から大きな反響を呼び、裁判は傍聴人であふれたという。
弁護団は「吉蔵にはマゾヒスティックな性向があり、定はソドとマゾの両性を有し、この結合要素を備えた男女が出会うことは千万人にひとりの割合であろう。しかるに定、吉蔵は陰陽、凹凸全く符合融和すべき千載一遇の暗合の結果であり、稀有な運命の神の悪戯に依って本件を誘発したものである」と主張、「心身耗弱による衝動的殺人であり、その責を彼女だけに負わせるのは酷である」として六年の刑が言い渡された(模範囚として五年で出所)。
人を殺して六年。これはかなり寛大な判決といえるのではないだろうか。しかし、私が本当に腑に落ちないのはここからだ。
阿部定事件についての記述を読むと、その多くが定に好意的なものであることに気づかされる。「深く激しい愛の物語」「究極の愛を求めた女」といった表現がなされているのをしばしば見かけるし、たとえば渡辺淳一さんが定について書いたエッセイの中には「ロマンチック」という言葉さえ出てくる。
当時の世論も定にきわめて同情的で、服役中四百通を超える結婚申し込みが届いたという。この年の二月には二・二六事件があり、日本は日に日に軍国主義の色彩を強めていた。その暗澹たる世相の中でいっとき不穏な空気を忘れさせてくれる存在として、当時の人々はこの事件に飛びついた……と仮定するのは不可能なことではない。が、もし時代背景だけが理由だとしたら、定が現代の人々からも不思議な人気と理解を得ているのはどういうわけか。
私はその「ものわかりのよい」表現を目にするたび、「おいおい、それは違うだろう」と言いたくなるのだ。

【あとがき】
阿部定は幼い頃から色白の美少女だったそうです。連行されるときの写真を見たことがあります。地味な顔立ちですが、当時としてはきれいな女性だったのでしょう。定は吉蔵のことを「一点の非の打ち所もない男」と述べていますが、見た目がいい男で性格も優しかったそうです。