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2003年11月23日(日) 京都にて

大学時代の友人と紅葉を見に京都に出かけた。
この友人というのが四季折々の風景を楽しむことに執念を燃やす人で、春は花見、夏は川床、秋は紅葉、正月は初日の出を制覇しなければ気がすまない。初日の出以外は雨に降られたときのことを考えて何日か予備日を設けておくという周到さである。この秋の紅葉もすでに奈良と滋賀で見てきたらしい。
その彼女が電車の中で残念そうに言うには、今年の紅葉は全然だめなのだそう。秋らしい秋がなかったためか発色が悪く、全体的に地味だという。そういえばインターネットの紅葉情報でも、「中途半端な色変わりで期待薄。葉数も少なく弱っている」「色づき停滞。見頃待たずに散りの感じ」といったコメントが目立っていたっけ。
しかし、携帯の待ち受け画面に昨年撮ったそれは見事なモミジを設定している彼女は、これをなんとしても今年の分に差し替えるんだと闘志満々。
そんなことを話しているうちに嵐山駅に到着。嵯峨野の竹林をしばらく行くと、左手に縁結びで有名な野宮神社が現れる。
が、あれ?彼氏いない歴三十二年を誇る彼女が素通りしようとするではないか。
「ちょっとちょっと、お願いしとかなくていいの?」
彼女は首を横に振る。地主神社も鈴虫寺も若王子神社も、京都にある縁結び系の寺社はとっくに総ナメ。それどころか何度もリピートしたがちっとも効き目がない、今度出雲大社でお願いしてくるからいいのだと言う。
「そのために松江まで行くの!?」
「出雲大社はほんまに効くらしい。確率は三分の二やって」
なにが三分の二なのかよくわからないが、それよりさらに確実なのは十キロ痩せることだろうな……と思ったのは内緒だ。
でもせっかくここまで来たんだし、ととりあえず境内に入る。
なんだかんだ言いながらも柏手を打つ彼女。そのあいだ私は掛所に奉納されている絵馬を眺めていたのだけれど、ちょっとびっくり。なぜなら、「山田花子さんと両思いになれますように。田中一郎」というふうに、思いを寄せている相手の名をずばり出しているものがとても多かったからだ。
たしかに「大好きなあの人と」なんて具合にぼかして書いたら、効き目が薄れそうではある。でもだからといって、人の名を勝手に書いて不特定多数の人間の目に触れる場所に掛けてしまうというのは、私にはできないことだ。
もしどこかの神社でたまたま目にした絵馬に「愛しい小町さんと結ばれますように。一郎」なんて書いてあったら、その後彼に対して用心深くなるにちがいない。合格や健康の祈願ならともかく、恋愛の成就を絵馬に託そうとするセンスもノーサンキューだ。
野宮神社を後にし、さらに奥に数十分歩いて目当ての常寂光寺へ。
なるほど、彼女の言うとおりモミジの色づきがいまひとつどころか、いまみっつくらいよくない。石段をのぼり一番上まで行くが、夕日のような赤やオレンジはほとんど見ることができない。満足に色も変わっていないのに葉の先が縮れ、散りの準備をはじめている木も少なくなかった。
紅葉には一家言ある友人はもちろん、彼女ほどそれに執着のない私もせっかく京都まで来たのに、と不完全燃焼な気分。
しかし、嘆いてもしかたがない。気を取り直して母校の大学をのぞいていくことにした。
七、八年ぶりになる。校舎が立て替えられ、風景が変わっていた部分もあったが、そこは間違いなく私が青春と呼ばれる時期を送った場所だ。
壁に隙間なく貼りつけられたサークルのポスターを見て、「入会希望者はBOXまで」というフレーズに懐かしさが込み上げる。食堂を覗けば、当時よく食べていたメニューを見つけて感激。構内を仲良く歩いているカップルの姿に、好きだった男の子のことをちょっぴり思い出したりも……。
そうそう、私はいまだかつてペアルックをしたことがないけれど、「時間差ペアルック」ならある。付き合いはじめたことをまだ誰にも話していなかった頃、彼がいたずら心を起こして自分のシャツを私に無理やり着せたことがある。その格好でゼミに出たら案の定一発でバレてしまったのだが、教授にまで冷やかされながら「ま、そういうことですわ」と彼がすました顔で、しかしどこかうれしそうに言うのを見て、もしかしてみんなに言うきっかけがほしかったのかな?と思ったのだった。
この人を振る女の子はいないだろうと思わせる人だった。幸せに暮らしてくれているといいな。
紅葉は残念だったけれど、ひさびさの京都は私にたくさんの手土産を持たせてくれた。

【あとがき】
本文と話は違いますが、おかげさまで先日10万ヒット達成しました。ありがとうと言わせてください。これからもまじめに書いていきますので(←これ、日記書きにおける私の信条)、よろしくお願いします。