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2003年09月08日(月) 最悪の事態(前編)

サイトを持ったことのある人ならば、読み手からの反応のあるなしが更新意欲をかき立ても削ぎもするということをおそらく否定しないだろう。
私は日記リンク集の得票ランキングには参加していないが、「今日の日記があなたの心になにか残したときにだけ押してください」という、このサイト専用の読了ボタンをつけている。メールアドレス不要の匿名ボタンなので、押したところで「読んだよ」をアピールできるわけでもお礼のメールが届くわけでもないのだけれど、それでも一文の得にもならないそれをぽちっとやってくださる方がいる。その得票数を見るのは私にとってささやかな楽しみなのだ。
読み手への迎合はサイトの寿命を縮めるだけなので、「ウケがいいのはどういう話題か」なんてことはどうでもよい。しかし、自分の感覚や主張がどの程度一般性、共有性のあるものなのかについては関心がある。その数が日によって著しく増減するところを見ると、「読んだら押す」派よりも「内容によって押したり押さなかったり」派のほうが多そうなので、目安にはできるだろう。
それで「正しい」「間違っている」の判断が下せるわけでないことはもちろん承知している。が、実生活の中でこれだけの人の反応を確かめられることはまずないので、自分の立ち位置を知るよい機会になっている。

しかしながら、それにも勝る楽しみがある。見ず知らずの方から興味深い話を聞かせてもらえることだ。
私はいただいたメールを読みながら追体験させてもらうことがしばしばある。これは日記書きで得られるうれしい副産物である。
最近もおもしろい話(といっては申し訳ないのだが)を聞いた。数日前の日記(9月2日付「思い込む人々」)に、
「著名な作家にはひとりやふたり、自分がその人の配偶者や恋人であると信じ込んでしまっている困ったファンがいるらしい。林真理子さんのエッセイにも、彼女の書いた小説の主人公はすべて自分がモデルであると思い込んでいる男性読者から週に二回ラブレターが届くとあった」
と書いたところ、ある女性日記書きさんから「私も似たような経験をしたことがあります」とメールをいただいたのだ。
昨夜見た夢について書けば「その夢にでてきた男性というのはもしかして僕ですか?そんな気がします」と言われ、サイトを閉鎖しようか迷っていると書いたあと、思いとどまれば「僕の言うことを聞いてくれてありがとう」と喜ばれてしまう。
私も過去には一般論として書いたことに「それは私(の日記)のことですか」というメールが届き、自意識過剰だなあと辟易したことがあるけれど、ここまでおめでたい人には出会ったことがない。この男性、彼女の自宅から徒歩一分の場所から「旅行の土産を渡したい」と突然電話をよこしたり(彼の自宅はそこから四百キロ離れているのだそう)、白いスカートを風になびかせ草原に立つ彼女の絵を郵便で送ってきたりしたというから、ちょっとふつうではない。
その後完全無視を決めこむことで関係は断てたとのことだが、ずいぶん気味の悪い思いをしたという。本当にお気の毒な話である。
が、その一方で「現実にこういうことってあるんだなあ」となにやら感心したりして。
色気のかわりに勝気な文章ばかり書いている私。その手のトラブルに巻き込まれたことはもちろんない。(後編につづく)

【あとがき】
海を渡って四百キロ彼方からやって来たそうな。しかも一度でなくネットで知り合った間柄で、たとえなにかのきっかけで住所や電話番号を教えてもらったとしても、まともな人なら自宅を探しあてたり電話をかけたりはしないだろう。私はたまに絵ハガキ企画なんてものをやるのでサイトで知り合った人の住所や名前を知ることがありますが、今度近県まで行くから訪ねてみるか、なんて考えたことはもちろんありません。彼は彼女のことが好きだったんだろうけど、そういうことをしたら相手を怯えさせるということがわからなかったんだろうね。そんな当たり前のことがわからない鈍さが怖い。