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2003年09月02日(火) 思い込む人々

フィットネスクラブのエアロビクスのクラスでちょっぴりおもしろいことがあった。
照れがあるのだろうか、エアロビをする男性はそう多くない。割合で言えば女性の一割ほどで、彼らはスタジオの後ろのほうでおとなしく踊っているのが常である。
しかし、今日は五十代なかばとおぼしき見慣れぬ男性が最前列中央のインストラクターの隣を陣取った。
ふだん躍っているときに正面の鏡に映る他人の姿が目に留まることはまずない。振り付けやステップを覚えるのに必死で、それどころでないのだ。が、今日ばかりは違った。
というのは、その男性がときどきTシャツの胸や脇のあたりを引っぱるように、妙な具合に手を動かすのである。そんな「手」をつけろという指示はないのに……と不思議に思っていたら、なんのことはない、インストラクターの女性が飛んだり跳ねたりしているうちに胸があがってくるのが気になるのか、ウェアのトップス(スポーツブラみたいなやつ)を時折くっくっと直すのを振り付けのひとつだと思い込み、忠実に模倣していたのだ。
「それは振りじゃないのよー」と思ったが、教えられるわけもなく。彼は六十分間、一番目立つ位置で三十人ほどの女性の注目を一身に浴びながら、そのまま躍りつづけた。
インストラクターの女性も真横で、しかも男性に胸を定位置に戻す仕草まで真似をされ、さぞかし恥ずかしかっただろう。

さて思い込みといえば、著名な作家にはひとりやふたり、自分がその人の配偶者や恋人であると信じ込んでしまっている困ったファンがいるらしい。エッセイを読んでいると、そういった話にしばしばお目にかかる。
北杜夫さんや遠藤周作さんもそのようなことを書いておられた記憶があるし、林真理子さんのエッセイにも、彼女の書いた小説の主人公はすべて自分がモデルであると思い込んでいる男性から週二でラブレターが届くとあった。
このレベルになると思い込みや勘違いというより妄想というべきであろう。わが身に起きたらと思うと肌寒いものを感じるが、他人事であるうちは「ほんとにこういう人っているんだ」とおもしろがって読むことができる。
そういえば、前回の日記に「私はこういう理由で着信拒否をしたことがあります」という内容のメールをいくつかいただいたのであるが、その中にこの手の妄想にとりつかれた女性から追い回されてやむなく、という男性からのものがあった。
なんでも、彼女のあたまの中では彼に強姦されたことになっており、責任を取ってよということだったらしい(もちろん事実無根)。妻の手前もあり、昼夜を問わぬ電話攻勢には困り果てたとその方はおっしゃる。
「嘘も百回言いつづければ真になる」と言われるけれど、思い込みもまた貫き通せば彼、彼女の中で現実になるようだ。こういう女性が警察に被害届を出したら、男性は身の潔白を証明するのにかなり難儀するに違いない。

先日テレビで、ユニバーシアード大邱大会の応援のために韓国入りした北朝鮮の美女軍団が金正日総書記の写真の入った横断幕に激昂しているのを見た。
韓国側が北朝鮮の選手団を歓迎する気持ちで掲げていたものだったのだが、移動中、窓の向こうにそれを見つけた美女たちはバスのブレーキを踏んで急停車させ、横断幕を引き剥がしたという。
「私たちが敬愛し、恋する将軍様をこんな丸太に吊るさないで!」
「将軍様のお顔に皺が寄っているなんて我慢できません!」
「肖像画が雨で濡れているではないですか!」
ある者は柳眉を逆立て、またある者は涙を流している。そんな彼女たちの姿に韓国の人たちはあっけにとられていたが、私は崇拝というのもまた思い込みのひとつの形だものなあと思いながら見ていた。
前述のメールの男性が「何度か話し合おうとしたけど、不可能だった」と書いておられたが、不思議はない。街角で「あなたの血をきれいにしてあげます」「あなたの健康を一分間祈らせてください」と言ってくる人を言い負かすことができるだろうか。
正しいとか間違っているとか幸とか不幸とか、そんな話ではない。ただ、それがなにに因るものであるかは関係なく------信仰であれ、教育であれ、病であれ------私たちは百万言尽くしても、「思い込んだ人々」に新たななにかを与えることはできないだろうとは思うのだ。

【あとがき】
夫婦である宗教を信仰している知人がおり、あるとき「勧誘ってつらくない?話聞いてくれる人は少ないでしょう、邪険にされたらムッとしない?」と訊いたことがある。すると彼女は「ううん。ああ、かわいそうな人だなって思うだけ」と答えた。思考の次元というか、コミュニケーションをとるのに必要ななにかが根底からズレているというか。投げたボールと違うボールが返ってくるような感じを受けました。うまく説明できないけれど。