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2003年08月26日(火) 日本が世界に誇れるもの

週末実家に帰ったら、リビングのテーブルに『地球の歩き方』が置いてあった。
「あ、そっか。来月だっけ、イタリア」
キッチンでお茶の用意をしてくれている母に声をかけると、「もうパスポートも取ってきたよ」と弾んだ声が返ってきた。かの国は一度訪れたことがある。懐かしいなあと思いながら付箋のたくさんついたガイドブックをぱらぱらめくっていると、母が言った。
「スリやひったくりが多いから財布を分けなさいとか、クレジットカードを使うときは要注意とか、両替したらその場で必ず確認しなさいとか。えらく治安の悪い国みたいに書いてあるね」
今回のイタリアが両親にとって初めての海外旅行である。先日電話で飛行機について訊かれたとき、私は十三時間はけっこうきついだの、機内食はあまりおいしくないだのとつまらないことを言い、少々がっかりさせてしまった。
そのためこれ以上夢をつぶすようなことは言いたくなかったのだけれど、しかし日本とは根本的に違うんだということは伝えておかねば、と思い直す。旅慣れた若い人でも騙されたりぼられたりすることがあるのに、うちの両親などいいカモにされてしまいそうだ。

海外に出かけるたびに「日本っていいよな、すごいよな」と感心するのは、バッグを置いて席を立ってもなくならないとか、水道の水が飲めるとか、トイレに紙がついているとか、そりゃあいろいろあるけれど、「人がきちんとしている」ということもひとつ挙げたい。
それは商品やサービスの提供者を信用、信頼できるということだ。仕事に対するまじめさ、ていねいさにおいて日本にかなう国があるだろうか。
たとえば日本のホテルでベルボーイが壁にもたれて客を待っていたり、フロントがモーニングコールを忘れたりするといったことは考えられない。しかし、海の向こうではそんなことは日常茶飯事だ。
アリタリア航空の飛行機に乗ったとき、手元のコールボタンが壊れていたため客室乗務員のところに行って水を頼んだところ、空いた客席に座っていた彼女は組んだ足をぶらぶらさせながら、顎で「あっち」と指し示した。JALやANAなら、たとえ私が「空気を運ぶよりはマシ」程度の利益の薄いツアー客であったとしてもこんなことはありえない。上海で泊まったホテルは四ツ星だったにもかかわらず、朝フロントに投函を頼んだ郵便物が夜遅く戻ってきたときにも机の隅に放置されたままだった。日本なら一泊五千円のビジネスホテルでだってこんなことは起こらない。
飛行機やホテルではとくにそうだが、デパートでもレストランでも、日本のサービス業では基本的に客をとても大切に扱う。あまりに親切でていねいな応対に日本人の私でさえ恐縮してしまうことがあるくらいだから、外国の人はその笑顔や腰の低さに戸惑いを覚えるかもしれない。
……などと言うと、「いや、最近はそんなことはない」とサービスの質の低下を嘆く声が聞こえてきそうだが、少なくとも日本を訪れる外国人がタクシーの運転手に法外な料金を請求されたり、店員に釣りをごまかされたりするかもしれないといった心配をする必要はないだろう。こういった部分での信用があるというのは、私たちが世界に誇れる美徳であると思う。
そしてもうひとつ私が「日本人ってきちんとしているよなあ」と思っているのが、身だしなみと行儀に関してだ。
前回の日記にヨーロッパの若い女性の肥満率の高さについて書いたが、豊満な彼女たちが露出度の高い格好でおなかや二の腕の肉を揺らしている様は壮観だった。日本の女の子なら、あの体型でおへそを出そうとかショートパンツを履こうなんて死んでも考えない。隠すことに躍起になるか、「ああいう服が似合うようになりたい」とダイエットにいそしむところであるが、あちらではそんなことは本人もまわりもおかまいなしだ(と私には見えた)。
いつも思うことなのだが、海外に行くと自分の中の恥の感覚が麻痺、いや消滅してしまうような気がする。
あちらの女性はブラジャーのストラップを隠す気などはじめからないし、ローライズのパンツの腰から下着が、いやお尻がのぞいていてもへっちゃら。もし日本で「ブラの肩紐見えてるよ」なんて指摘されたら、私は「いつから見えていたんだろう」と気が気でなくなるが、ここでならブラジャーをするのを忘れていたって動揺しないかもと思った。
振る舞いについてもそうだ。電車の中でものを食べようが、街中でジベタリアンしようが、抱き合ってキスしようが、おそらく誰の目にも留まらない。あまりにもありふれた光景だから。
ロンドンでみながとてもおいしそうにソフトクリームをなめているので私もつい買ってしまったのだけれど、ひとりでものを食べながら歩くなど日本ではかなり勇気のいることだ。そんなことで「私、いま外国に来ているんだワ」と実感してしまった。
たまに海外に出かけ、日本ではみっともないとされているようなことをしてみるのは楽しいものだ。
しかしながら、そういうことが許されてしまう環境の中で暮らすとなると不安を感じる。それはあたかもゴムのゆるい楽ちんスカートを履きっぱなしといった感じで。前回、もし私が欧米に住んでいたらいまより十キロはウエイトオーバーしているだろうと書いたが、恥じらいを感じる神経のほうもうんと図太くなりそうだ。
私は日本人の、身だしなみや立ち居振る舞いについての口うるささというか美意識の高さをかなり好ましく思っている。
あちらの若者が親や年配の人に「行儀が悪い」と叱られるのはどんな場面なんだろうか。

【あとがき】
「どうしてあんなに無頓着でいられるのだろう」とあちらの女性に対して不思議に思うのは体型だけではなくて。今回訪れた北欧の太陽は強烈でしたが、みな素肌を剥き出しにしたまま日なたでお茶を飲んだり、芝生に寝っ転がったり。そのため若い人でもシミやそばかすがびっしり。背中や腕、手の甲にまでそばかすができるものだとは知りませんでした。それに比べ、日本の女性の肌のきれいなことといったら。日本では年齢にかかわらず女性は街を歩くときは日傘を差すし、日焼け止めにも余念がない。日本人女性の肌の美しさもまた世界に誇れるもののひとつではないかと思うわけです。