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2003年08月23日(土) 太っていたらできないこと

二週間も前に買ったのに、なかなか読み終えられない本がある。村上龍さんの『すべての男は消耗品である』というエッセイだ。
誰かの書いたものに初めて触れたとき、早い段階で「失敗したな」と思うことはままある。が、それでもいくばくかのお金を支払ったからにはもったいないという気持ちが働くので、一応は最後まで読む。しかしながら、この本にいたってはちっとも読み進まない。
私は基本的に毒舌調の文章が苦手なのだが、とりわけ受けつけないのは差別用語や侮蔑的な発言が散りばめられたもの。まだ半分しか読んでいないにもかかわらず、このエッセイの中で私は何度「ブス」という単語を目にしたことだろう。
「デブ」や「ハゲ」もそうだが、「ブス」はあまりにも語調がきつい。そこには情味も含蓄もない。「オレ」が一人称になっている文章の中にそういう単語がやたらと出てくると、なおのことそう感じる。
おそらく彼は自分について読者にある種のイメージを抱かせることを狙って、あえてこのような身も蓋もない言葉を用いているのであろう。その意味では成功していると言える。私にはせっかくの文章をわざわざ「汚なくする」趣味はないので、まず使わないけれど。
おっと、話がそれてしまった。今日は村上龍さんのエッセイとは相性がよくなかった、なんて話が書きたいのではないのだ。

村上さんはどうやら女性の顔の造作に妥協できない方らしい。「ブスは論外」と公言してはばからない。

デパートや遊園地に行くと、すげえ!と大声を出したくなるようなブスが、平気で結婚していて、子供なんか連れている。ブスとやる男もいるのだ。

酒場で、女が泣いているのを見るのは、なかなか興味をそそられるものである。泣いているのがブスなおばんだったら、これほど見苦しいものはない。


うん、確かにこういう男性も少なからずいるだろう。
しかしながら、私はどちらかというと日本の男性は不美人よりも太った女性に対して厳しいのではないかと感じている。欧米の男性に比べ、女性の体型についての許容範囲が狭いのではないかと。顔の造作がどうのこうのについては「お互いさま」ということ、「こればっかりはしかたがない」とある程度理解を示しており、比較的寛容であると言えると思う。が、太っていることには容赦ない。
それはなにも村上さんのように「デブは論外」なんてことを言う、という意味ではない。ほとんどの男性はそんなことを口にしないということくらいわかっている。
私の言う「厳しい」とは、日本の男性は太っている女性のことは最初から、まるでそれが当然のことであるかのように自動的に恋愛対象から除外してしまう傾向があるのではないかということだ。
欧米を旅行するたび、あちらの人の肥満率の高さに目を見張るが、私をもっとも驚かせるのは「太っているのが中高年層に限らないこと」である。そう、おしゃれ盛りの若い女性までかなりの確率で肥満しているのだ。
ダイエットに精を出し、棒のような足をした日本の十代、二十代の女の子たちとは大違いである。
なぜ日本の女の子がこれほどまでに水の溜まる鎖骨に憧れるのか。理由はひとつ。太っていたら恋ができないからである。
私のまわりにもかなり豊満なからだつきの女性がいる。混浴の温泉で備えつけのバスタオルを胸に巻いて入ろうとしたところ、届かなかったというエピソードを持つ友人は彼氏いない歴三十一年だ。ほかにも何人かいるが、誰ひとり男性と付き合った経験がない。
では、欧米の肥満した女の子たちはどうなのか。やはり独り身かというと、そうでもなさそうなのだ。ヨーロッパをめぐっているあいだ注意深く観察していたのだけれど、村上さんの言葉を借りるなら「すげえ!と大声を出したくなるような」でっぷりとした女性の多くにも、隣りには彼女をエスコートする男性の姿がちゃんとあった。日本だとおそらくこうはいかない。
私は考える。欧米と日本ではいったいなにが違うのか。
さきにも述べたように、あちらの国では肥えた人がちっともめずらしくない。男性にとって女性が太っているのが特別なことではないために、妙齢の女性の肥満にも寛容なのではないか。もしくは、人種がごちゃまぜになった世界で暮らしている彼らは痩せているとか太っているということを、目や肌、髪の色が違うのと同じように個体の特性として解釈しているのかもしれない。
それに対し、日本では肉体における「標準」がはっきりしている。そのため、わが国の男性は太っている女性を規格外とみなし、ハネてしまうのではないだろうか。

今回の旅のあいだにも見惚れてしまうほどスタイルのよい女性を何人も見かけたけれど、欧米の国で暮らしながらあの体型を維持するのは至難の業であると推測する。
まわりには肥満した人間があふれ、少々太ったところで誰にもなにも言われない。ブティックで洋服のサイズがなくて困ることもない。そして毎日が洋食。
そんな環境でスリムなボディをキープするのはどれほど大変なことだろう。「太るまい」とするなら、日本で暮らす私たちの何倍もの自制心が必要なはずだ。私はもし自分がアメリカやヨーロッパに住んでいたら、いまより十キロは太っている自信がある。
ミニスカートからすんなり伸びた長い足。その街の中で、彼女たちは違う星の生き物のように見えた。

【あとがき】
私が初めてアメリカを訪れたのはオーランドのディズニーワールドに行ったときだったのですが、それはもう驚きました。すでに「ふくよか」という表現が適切ではなくなっている人たちであふれかえっていたから。日本の基準でいえば、八割くらいの人が肥満に分類されたのではないだろうか。アメリカでは肥満は自己管理できない人と見なされ、出世もできないのではなかったか。なのに目の前に広がっているこの光景はいったいなんなのだ……と激しく首をひねったものです(友人の解釈では「オーランドは田舎だし、ここにいるのは観光客ばっかりだからだよ。都会ではこんなことはないはず」ということでしたが)。
そして先日旅した北欧でも、肥満している人の数は日本とは比べものにならないくらい多かった。欧米人とはからだの作りが違うのでしょうね。私たちは暴飲暴食の限りを尽くしてもアメリカ人のように球体にはなれないし(そこに達する前に病気になってしまうのでしょう)。