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2003年07月14日(月) お詫びの言葉は

朝刊の投書欄に載っていた、二十代の女性が書いた文章が目に留まった。
書き出しが「シートベルト未着用で違反切符を切られたのですが、どうしても納得のいかないことがあります」であったので、取り締まりの方法や罰則金についての不満が書かれてあるのだろうと思っていたら。

それは取り締まりをしていた警察官が終始、私に謝っていたことです。
まず、停車した時に「忙しいのにすみません」。次に「では大変申し訳ありませんが、あちらの方へ行ってください」。最後は「お忙しい中、申し訳ありませんでした」。
さて、私は何のために警察官に呼び止められたのでしょう。そして、悪いことをしたのは誰なんでしょう。


発車の際には「申し訳ありませんが、シートベルトをお願いします」と言われて送り出されたというのだから、苦笑してしまうではないか。彼女は「社会のルールを破った者を取り締まっているのだから、もっと毅然とした態度で接してもよいのではないか」と書いていたが、まったくそのとおりだと頷いた。
というのも、先日こんなことがあったのだ。友人と食事をしたあと、最寄駅まで帰り着いた私は階段をあがり地上に出たところで愕然とした。
「こ、小町号がない……」
駅前に停めておいた愛車(愛チャリ)が忽然と姿を消していたのである。
もしかしたら停めた場所を勘違いしているのかもとあたりを見渡してみたが、希望はすぐに打ち砕かれた。脇に見慣れぬ立て看板が置かれてあり、「ここは駐輪禁止区域です。自転車の引き取りについてのお問い合わせは……」と書かれていたのだ。私は悔しさのあまり歯ぎしりしながら夜道を歩いた。
翌日、出勤前に保管場を訪ねた。「自転車を受け取りにきました」と声をかけると、見るからに定年退職後、第二の職に就いているといった風情のおじさんがすみやかに探し出してきてくれたのだが、私は礼を言いながらも、このあとのことを思いうんざりしていた。電車で来たから帰り道がわからないし、この暑さである。無事に家までたどりつけるだろうか。たまたま停めた日にかぎって撤去作業があるなんてついてない……。
そうしたら。私がなにを考えているのか伝わったのだろうか、私から保管料を受け取りながら、おじさんが穏やかな口調ながらもきっぱりと言ったのだ。
「あそこは停めちゃいけない場所だから。近隣の住民から苦情が出てるから、もう置かないでね。それに盗難に遭ったら自転車もかわいそうでしょ」
はっとした。
「この暑いのに、あんなへんぴなところまで取りに行かなきゃなんないなんて」
「引き取りは平日のみ、しかも十九時までなんて。こっちは二十一時定時なのに」
「一万円で買った自転車に千五百円の保管料。ばかばかしいなあ」
「小町号がないと買い物にもフィットネスにも行けない。困ったなあ」
昨夜から半日間、自分が被害者のような気でいたことに気づいたのだ。そしてそのとき、私の口から「すみませんでした。以後気をつけます」という言葉が自然に出た。
もしおじさんに「こんな遠くまで来させて悪かったねえ。それと申し訳ないけど、保管料ちょうだいできるかなあ」とぺこぺこされていたら、私はなにかを勘違いしたまま保管場を後にしていたにちがいない。

私はいま、クレジットカード会社でテレコミュニケーターをしているのだが、仕事中によく疑問に思うことがある。
月末に口座振替ができなかったお客様にその旨をお伝えするのが業務なのだが、同僚が「申し訳ありません」をやたらと使うのである。
「申し訳ございませんが、○日にお引き落としすることができませんでした」
「大変申し訳ないのですが、当社指定の口座にお振込みいただけますか」
いつもひっかかりを覚える。大切なお客様ではあるが、あちらに手落ちがあったために発生した事態なのだ。誠意のある対応は「恐れ入りますが」「お手数ですが」で十分できるのではないのだろうか。
早急にお願いしたいと言っているのに「ハイハイ、そのうちね」なんて答えが返ってくるのは、相手が「これからは気をつけなくっちゃ」という気持ちをまったく持っていないことの表れである。こちらの必要以上のへりくだりが彼らを鈍感にさせているのではないか。
社員さんのトークにはその言葉がほとんど出てこないことからも、今後きちんと約定決済してもらうためには考えなしの「申し訳ございません」は逆効果だと思えてならない。
食品メーカーに勤めていた頃、お客様電話を取る機会があったのだが、先輩からしつこく言われたのは「お詫びの言葉を口にするときはくれぐれも慎重に」ということだった。いったんそれを言ってしまうと、あとになってこちらに非がないことが明らかになっても「でもお宅、あのとき謝ったじゃないか」と言われ、引っ込みがつかないからだ。
「恐れ入りますが」「お手数ですが」「失礼ですが」はそれぞれ意味が違う。言いにくいことを切り出さねばならないときや相手が怒っているときは、厄介なことにならぬようとりあえず下手に出ておけ、と考えがちだけれど、なんでもかんでも「申し訳ありませんが」で代用するのは長い目で見たとき、こちらのためにもあちらのためにもならないことが多いのではないだろうか。
どんな言葉にもいえることだが、とりわけ「申し訳ありません」は私にとって軽々しく使いたくないものだ。その言葉を心から誰かに届けたいと思ったとき、それがなんのありがたみもない薄っぺらい言葉に成り下がっていたら、そんな不幸なことはない。

【あとがき】
言葉って、実感もないのに気安く使っているとだんだんその意味に鈍感になってくるんじゃないかと思うんです。スポイルされてしまうんです。言葉は自分の内面にある目には見えないものを相手に伝えるためにもっとも有効な手段じゃないですか。固いこと言うつもりはないんですけど、書き言葉はもちろん話し言葉でも、あんまりいい加減な言葉の選び方はしたくないなと思います。