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2003年06月09日(月) ウンチクを語る人

私は小説をまったくといってよいほど読まないエッセイ偏愛者であるが、グルメエッセイなるものはこれまでほとんど手に取ったことがない。
食べること自体は生活の中の楽しみのひとつだけれど、食べ物について書かれたものを読むことには食指が動かない。人の書いたものを読んでなにかを考えたり感じ入ったりしたいという欲求を満たすには、「へえ、おいしそう」でおしまいになりがちなこの手のエッセイでは少々物足りないのだ。
しかし、そんな私が先日めずらしく買ってしまったのは東海林さだおさんの『ケーキの丸かじり』。書店に平積みされている本の表紙を見て、「ホールのケーキをひとりで食べるのが子どもの頃の夢だったなあ」と懐かしくなったのだ。
読んでみたら、なかなかおもしろかった。「食のエッセイっていまいち読んだ気がしないんだよね」と敬遠してきたが、頭を休めたいときには人生や恋愛を語ったものよりこういうもののほうがいいかもしれないと認識を改めた。

ところで、私がこのエッセイを楽しむことができたのは、ウンチクを語ったものではなかったからというのが大きい。なにがイヤといって、料理や食べ方についての知識をひけらかす人ほどこちらをうんざりさせるものはない。
食品メーカーに勤めていた頃、同僚の男性のマンションに遊びに行ったことがある。フランスのレストランで三年間修行した経験を持つ彼はフレンチのコース料理を作ることができるのが自慢で、部署の人間を何人か自宅に招いてふるまってくれたのだ。
彼は席に着かず、オードブルにスープ、メインにチーズ……とすべてを絶妙のタイミングで出してくれる。温かいものは温かく、冷たいものは心地よく冷えた状態で。その手際のよさに一同感嘆のため息をついた。
ただ、ごちそうになっている身でひとつだけ勝手なことを言わせてもらえば、
「スパルタ農法で育てたトマトはやっぱり甘味が違うね。あ、スパルタ農法ってのはね」
「どう、そのスズキ、ぜんぜん臭みがないだろ?クールブイヨンで下茹でしてあるからね」
と具合に素材や作り方について一皿一皿こまごまと解説され、コメントを求められるのには閉口したけれども。
しかしそれはそれとして、料理はどれもすばらしく、デザートのココナッツ風味のブランマンジェが出てきたときには女性陣から「こういう人、一家にひとり欲しい!」と声があがったほどである。
が、その後がよろしくなかった。
コースの最後、コーヒーを飲む段になったとき、ひとりの女の子が紙袋の中からなにやら包みを取り出した。彼女が照れくさそうに開くと、中にはカップケーキが人数分。
カップケーキといえば、中学の家庭科の調理実習で一番最初に作るお菓子だ。ついさきほどまでプロはだしの男性の料理にいちいち驚嘆していた私たちの目に、それがかなり素朴に映ったことを否定するつもりはない。しかし、「ごちそうになってばっかりじゃ悪いと思って」という心遣いがいじらしいではないか。私たちは喜んでひとつずつ自分の皿に載せた。
……のだけれど。
遠慮のかたまりのように残る一個。件の男性がいつまでたっても手を出さないのだ。
彼は私たちと一緒に食事はしていないから、満腹でというわけではないだろう。彼女が気にするじゃない、早く取ってあげてよ……と内心ドキドキしていたら、こちらの心を見透かしたように彼が言った。
「それさあ、ベーキングパウダー入れてないでしょう。食べなくてもわかるよ」
たしかに膨らみは悪く、生地も固かった。彼の指摘通り、彼女は「ベーキングパウダー?」ときょとんとしていた。だけど、おいしくないのがわかっているからいらないって?せっかく作ってきてくれたものを手元にも引き寄せないなんて、あんまりなんじゃない?
完璧なコースを提供できたと思っていたのに、締めのところで見るからに「初めて作りました」なものを出されたので気分を害したのだろうか。気持ちはわからないでもないけれど、思いやりに欠ける大人げのない態度ではある。
とりあえずその場では彼女に気落ちした様子はなかったし、他のみなも「さすがシェフ」なんて言いながら笑っていたけれど、私はなんだか白けてしまった。
主張やポリシーを持っている人は好きだけれど、食に関することとなると話は別。仕事柄、舌の肥えた人がまわりにたくさんいたが、彼らがTPOを選ばず味にうるさかったり、ああだこうだウンチクを垂れずにいられないのを見るにつけ、いじましいなとげんなりしたものである。私は昔からこちら方面で細かい男性だけはノーサンキューだ。
彼の分のカップケーキ。私たちがいとまする時間になっても、大きな皿の上にぽつんと残されていた。私たちが帰った後、彼はあれをどうするのだろうと思ったら、ドアを閉めるとき胸がちくっと痛んだ。

【あとがき】
私はむかしからオシャレと食べ物にうるさい男性はダメでした。そういうところにお金と情熱を注ぐ男性ってどうもみみっちく見えてね。「そんなことよりもっと大事なことがあるだろう」と思っちゃう。スーツだけはきちんとしたものを着てもらいたいけど、ふだんは清潔でこざっぱりしたものを着てくれていればOK。食事もなんでもおいしいと思いながら食べてくれる人が好きです。