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2003年04月10日(木) それを「平等」とは言わない

親しい同僚の中に小学生の子どもを持つお母さんが何人かいる。
彼女たちが語る学校の話はとても面白い。私は自分の頃と比べながら、いつも興味津々で聞いている。
「小町ちゃん、子どもの物は捨てんとなんでも取っとかなあかんで。学校行き始めたら、なに持って来いって言われるかわからんから」
そのうちのひとりが言う。先日、「自分のルーツを探るという課題で使うので、へその緒を子どもに持たせてください」とお達しがあり、彼女はタンスをひっくり返して探したのだそうだ。
別の女性は十歳にもならない息子が「ペニス」という言葉を知っていたのに仰天したという。どこでそんな言葉をと思ったら、最近は二年生から性教育が始まるのであった。かと思えば、五年生になっても体操服への着替えは男女同じ教室で。二十年前の私たちの頃でさえ分かれていたのに、親たちから問題視する声はあがらないのだろうか。
私の通知表は四年生までは「よい・ふつう・もう少し」、五年生からは「5・4・3・2・1」だったが、彼女たちの子どもの学校では全学年二段階評価。「できました・努力しましょう」で子どもの学力の程度がわかるのかと尋ねると、「まったく」との答え。そりゃそうだ。
とまあこんな具合に、彼女たちの話はびっくりの宝庫なのだが、中でも私を驚愕させたのは運動会の話である。
危険だからと騎馬戦や棒倒しがなくなったというのは「いまどきらしいな」と理解できたが、徒競走に順位をつけないというのにはえーと声をあげてしまった。「運動会の目的は運動能力の優劣をつけることではない」「足の遅い子どもに劣等感を植えつけないため」がその理由だ。
驚いたのはそれだけではない。最近は性差別をなくすという観点から男女混合名簿が用いられているが、徒競走も男女が一緒に走るというのである。クラス対抗リレーも選抜メンバーではなく、全員が走る。「出られる子」「出られない子」を作らないように、というわけだ。
一応赤組と白組に分かれてはいるものの、緊張感みなぎる勝負ではないという。不思議はない。勝敗や得点を競い合うのでなく、「仲良く楽しむ」に照準を合わせた運動会にしているのだから。
「けど、そんなんで面白いん?」
私は思わずつぶやいた。
勉強は苦手だけれど運動は得意という子どもはどこのクラスにもいる。私たちの頃はそんな彼らが運動会でスターになった。徒競走で一着、二着と書かれた旗のところに案内されるときの晴れがましさ。結果発表で放送委員に名前を読みあげられる喜び。「みんなにできないことが僕にはできる」と自分に自信を持つ瞬間だ。
それを「足が早い子も遅い子もがんばったから、みんな一等賞」だなんて。低学年にいたっては手をつないでゴールさせることもあるという。
子どもたちが一生、競争のない仲良しこよしの世界で生きられるのなら、それもよかろう。しかし、いずれは「がんばりました」「一生懸命やりました」だけではなんの評価もされない実力勝負、弱肉強食の社会に出て行くのだ。
大事なのは、彼らを刺激やストレスから隔離してやることではない。他者との差、自分の実力を認識させ、じゃあそこからどうするかを考えさせることだ。弱いこと、負けることがダメなことではないのだと教える必要もある。
スポーツ選手はトレーニングで「筋肉を傷つけ、修復させる」を繰り返すことによって筋繊維を太くしていく。心だって同じだ。「なにくそ」という感情を味わうことなしに、負けん気や根性なんてものを培うことができるはずがない。
少々の困難にはめげないたくましさ、コンプレックスとうまく付き合える柔軟さを彼らの中に育てる。これこそゆとり教育が目指す「生きる力の育成」ではないのだろうか。
できる子のあたまを押さえつけ、無理やり「みんな一律」にする。これを悪平等と言わずしてなんと言う。勉強のできる子もいれば、走りなら誰にも負けないという子もいる。それは個性だ。それぞれの能力を正当に評価してこそ、真の平等といえるのではないか。
いまは運動会の日も給食のある学校が多いという。昼になると子どもたちは親をグランドに残し、教室に戻って給食を食べる。親が応援に来られない子どもたちへの配慮とのことだが、私はこれを「ビリの子がかわいそうだから、順位はなし」と同じところからきている発想だと思う。
差異があることをすぐさま不公平と結びつけ、それを隠したり目立たないようにするためになんでもかんでも押しなべてしまう。そんな昨今の風潮には首をひねらざるを得ない。「そういう問題じゃないでしょう」と言いたくなることもしばしばだ。
行き過ぎた平等主義や公平性の蔓延には不気味なものさえ感じる。

【あとがき】
当時一番好きだった授業は体育。私は一年の行事の中で秋の大運動会をもっとも楽しみにしていました。男子の騎馬戦の帽子の奪い合いはそりゃあ迫力があったし、組体操で最後にピーッの笛の合図でぐちゃっと潰れるのも見ごたえがありました。それがいまや徒競走に順位はないわ、騎馬戦や棒倒しはないわ、ですか。借り物競争とかスプーンリレーみたいなゲーム性の高い種目もいいけど、私が親ならやっぱり子どもたちが全力を出しきる姿が見たい。真剣勝負の世界、勝者と敗者がいるからドラマが生まれる。スポーツってそういうもんでしょ?