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2003年03月18日(火) 男は「そういう生き物」なのか(中編)

※ 前編はこちら

今日に至るまで、なぜ私が「男はそういう生き物だから」に首をひねりつづけてきたか。「そんなもん認めてたまるか」という気持ちももちろんある。が、そのような感情的なものは横に置いておくとすれば、理由は「そのメカニズムについての説得力のある説に出会ったことがないから」に尽きる。
今月号の『婦人公論』の中に、渡辺淳一さんの「男の浮気の原点は精子にある」というタイトルのコラムがあった。

精子というものは、常に激しく仲間と競い、戦いながら卵子へ向かって突進し、そのなかへ入りこもうとする生きものである。この精子の卵子への異様な執着の仕方と落ちつきのなさを見たら、男が女と見るとすぐときめき、なんとか近付こうとする気持ちがよくわかる。
文明がいかに進もうとも、人間は体の奥底に沁み込まされた原点を忘れることはできない。男の浮気性は、雄という生きものに染み込まされた本能なのだ。


これこそまさに、私が「聞きわけのよい人たち」から何度となく聞かされてきた説である。精子を「男」に、卵子を「女」に置きかえて二者の生理の違いを考えるというのは、話としてはわかりやすいし、面白い。
しかしながら、根拠の弱さ、こじつけ感は否めない。精子の持つこの性向が、ときに理性を奪い、行動を支配するほど強い本能として男性の中に残っているというのは、医学的、科学的に証明されていることなのだろうか。
別のページでは神経解剖学の専門家が、妻が夫の浮気を見破ることができるのは脳の仕組みによるものだ、と説明している。
「脳梁の後部が、女性は太く丸い球状なのに対し、男性は細い管状なんです。脳梁は神経線維の束なので、そこが大きいということは物事をきめ細かく見ることができることを意味します。だから、女性は夫の表情や行動のささいな変化にピンとくる。一方、男性は妻が髪を切っても気がつきませんが、それは愛がないからではなく、顔しか目に入らないからなのです」
男性の浮気についてもこんなふうに解説してもらえないものだろうか。
「女の浮気は絶対許せない」と言う男性がときどきいる。理由はこうだ。
「男は愛情がなくてもセックスできるけど、女は気持ちがなければできない。だから、男のそれより罪が重い」
男は出来心で浮気できるけど、女は本気でないとできないだろ?女は受け入れる側だから、遊びではセックスできないはずだ------こんなことを真顔で言うものだから、私は笑い転げてしまう。いったいいつの時代の話をしているのだろう。それは女性に貞淑であることを望む気持ちからきた、大いなる勘違いである。愛情とセックスを切り離すことぐらい、女にとっても朝飯前だ。
「浮気をするか、しないか」は男と女の生理の違いなどではなく、チャンスの有無と理性の強靭さにかかっている。私はほとんどそう信じている。男の浮気が女のそれより多いのも、理由はそこにある。
「絶えず卵子を追いかけ一瞬たりともじっとしていない、あの落ちつきのなさを体の奥に秘めているから、男は……」などというのは、男たちが自己弁護のために作り出した都合のよい解釈に過ぎないのではないか。
私はやはり、女性が自発的にそれに理解を示してやろうとするのはわからない。同じセリフでも、男性が浮気がバレたときに言い訳がましく、あるいは開き直って口にするほうが、気持ち的にはまだ理解できる。

が、そう言いつつも、気になることがないわけではない。女性の性的欲求を満たすための商売や女性による性犯罪が、男性のそれに比べて極端に少ないのはどうしてなのか。
もしこれが、男と女では性への執着の強さが根本的に違っていることを示しているのだとすれば?
浮気とセックスは切り離しては考えられない。となると、それを理性の問題だけだと言い切るのはむずかしいのだろうか。
「男は種を蒔く生き物だから」「太古の昔に狩人だったことの名残」などでなく、生物学的根拠のある説を私は知りたい。

【あとがき】
よろしければ、「浮気」に関するあなたの本音を聞かせてください。「もし浮気されたらどうするか(関係継続の余地があるのか、など)」「されたとき、こう対処した」について、とくに興味があります。いただいたコメントは次回の日記で紹介させていただく場合がありますので、NGな方はその旨ひとことお願いします。「オッケーよ」な方はお名前と、お持ちならURLをお書き添えください。