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2003年03月07日(金) もしパーフェクトボディだったら

林真理子さんのエッセイの中に、「もし自分が神田うのちゃんのような顔とボディを持っていたら」を妄想する話があった。

南国のコロニアルホテルのベッドで、ずうっと裸のまま横たわっている。一緒にいる男が近寄ってきても何もさせない。時々、「冷たい飲み物、持ってきてちょうだい」と命令する。

セックスの途中、「なんかその気なくなっちゃった」と言って、えー、そんなァーと呆気にとられている男を尻目にシャワーを浴びに行く。バスローブをひっかけた姿で出てきてテレビをつけるが、それがすごくサマになっていて男は再びムラムラする。でも、私は「何もしないで、って言ったじゃないの」と叱りつける。

男の人とそういうことがしたくなったら、自分から誘う。媚びやテクニックは一切無用。ただ素足を組んで「しようか」とひとことだけ言う。


彼女はこんなことがしてみたいんだそうだ。涙なしには読めないくだりである。どんな青春時代を送ってきたか、容易に想像できるではないか。
そんなわけで、私は「なにこれ、全部そっち系のことじゃないの」などと言うつもりはない。自分だったらどうかと考えてみても、一番に思い浮かべるのはやはり「愛だの恋だのに有効活用する」ということである。
もし私が抜群のルックスを持っていたら。「足らずの女」というのをぜひやってみたい。
私は気持ちの出し惜しみというのができない。いつも自分の持てるすべてで応えようとする。しかし今思えば、そういった「与え過ぎ」が相手の気持ちを太らせ、結果的に恋の寿命が縮んでしまった……ということもあったような気がする。だからいっぺんでいいから、「君の心がどこにあるのかわからなくて不安だよ」なんて言葉を聞いてみたいなあ。

とまあバカな冗談はここまでにして、もし私が自分の顔とからだに絶対の自信を持つ女だったらきっと真剣に考えていただろうなと想像することがひとつある。
それは、若いうちにヌード写真を撮っておくということだ。エッチのときにお遊びでデジカメで、というのではもちろんない。しかるべき場所でちゃんとカメラマンに撮ってもらうのだ。
十年前、『アンアン』というハタチ前後の女の子向けのファッション雑誌がヌードモデルを読者公募したことがあった。そして、審査を通過した十九人の女の子(もちろん全員素人)が「きれいな裸」という特集でヌードを披露したのである。当時大学生だった私は、自分と同じ年頃の女の子たちが嬉々として脱いでいるのを見てショックを受けた。
彼女たちは一様にのっぺりとした平面的なからだをしていたし、男性が見てもこれじゃあ欲情しないだろうと思われるほど、無邪気で清潔感のあるヌードだった。
が、それでも私はページの中の彼女たちを違う星の生物ででもあるかのようなまなざしで見つめ、「恥じらいというものがないのか?私が親だったら勘当ものだな。彼氏だったら別れるな」とつぶやいたものである。
今でも私は自分の裸を見ず知らずの他人に見てもらいたいという欲求は理解できない。けれど、「人生で一番きれいなときのからだを、自分のために一生の記念として残しておきたい」という気持ちならわかるようになった。
男性誌のグラビアのように官能的なポーズをとる必要はない。つくり笑顔もいらない。ヘアもメイクもできるだけナチュラルにして、飾りを取り除いた状態の“素”の姿を撮ってもらうのだ。
そして、それは大事に大事に保管しておき、いつか押しも押されぬ立派な中年オバサンに成長し、私の女としての人生はもう終わりなのかしらと寂しくなったとき、そのアルバムを引っぱり出そうではないか。「私ってこんなきれいだったんだわ」と心が温まり、明日への活力が湧いてくるに違いない。
鈍感な夫にはことあるごとに見せ、「あなたってほんと幸せ者よね。こんなきれいな奥さんもらえたんだから」と刷り込んでやろう。娘が年頃になったら、「お母さんにもこんな時代があったのよ」と見せびらかすのもいいかもしれない。「うそー、信じられない、昔はきれいだったんだ!」なんて尊敬されたりして。くっくっ。

少し前、ネットの友人が「写真サイトのモデルに応募して撮ってもらったの」と言って、URLを教えてくれた(ヌードじゃないです)。
それは女の柔らかい部分がにじみ出た、とてもすてきな写真だった。その日初めて会ったカメラマンの前でこんな顔ができるものなのかと驚いたほど、彼女は安らいだ表情をしていた。
「自分自身を見つめ直したくて、ダメもとで応募してみたんです。で、撮ってもらったら私じゃないみたいっていうか、私ってこんなふうに笑うんだなあ、こういう顔するんだなあって発見があって……」
照れくさそうに、だけど幸せそうに話す彼女を見て、すばらしい経験をしたんだなあと私は胸がいっぱいになった。と同時に、私の中の「一番いいときの自分を残しておきたい」という思いが募っていくのがわかった。
容姿的には今がマックス。階段をのぼりきり、折り返す前の踊り場にいる……という状態が、現在の私だと思う。降りるための一歩を踏み出す前に。ひと花咲かせたいという気持ちを捨てきれないでいる。
(ま、「募らせた」だの「捨てきれない」だのと言ったところで、そもそもパーフェクトボディがないんだからどうしようもないんだけどサ)

【あとがき】
昔は落ち目のアイドルやタレントが巻き返しを図って脱ぐというのが一般的だったけど、宮沢りえちゃんとか樋口可南子さんとかがヌードになってからずいぶんイメージが変わりました。彼女たちの写真集見たとき、「美しい」っていうのはもうそれだけで存在する価値があるよなあと思いましたよ。