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2003年01月23日(木) オフラインでの交流がもたらしたもの

テキスト系のサイトをお持ちの方は、文章を書くうえでのポリシーのようなものをなにかしら持っているのではないだろうか。
私の場合、「固有名詞を正確に書く」「話に着地点を設ける」「文末を『〜と思う』にしない」などがあるが、「交友関係を明かさない」というのも長いあいだ、そのうちのひとつだった。
以前、ある日記書きさんがコンテンツにプロフィールを置かない理由について、「ここは先入観なしのテキスト勝負のサイトだから」と書いているのを見たことがある。
「たかが日記に気合い入れすぎじゃない?」と笑う人もいるだろうが、私はすごいと思った。うれしくさえなった。
なぜなら、私がサイトに掲示板やリンク集を置かないのも、他の日記に言及することがないのも、同じような考えからだったからだ。
読み手の目ひとつでテキストを読んでもらえたらうれしいなあと常々思っている。ある特定の人たちと交流がある、仲良しであると聞かされれば、人はどうしたってなんらかの思惑やイメージを抱いてしまうものだ。その「特定の人たち」が有名だったり強い個性を持っていたりすれば、「お仲間さんだから、きっとタイプや考えも似ているのね」「ふうん、あのグループの人なんだ」と見なされるかもしれない。
私はそれを避けたかった。自分の書いた文章以外のところから小町像を作られるのは嫌だった。どの日記を愛読しているとか誰と親しいといったことは、読み手に先入観を与えるだけの余分な情報でしかない。そう思い、誰と交流があるのかわからないようにしてきた。
その気持ちが変化してきたのはここ半年ほどのことだ。
転機となったのは、昨年の夏に参加したオフ会。遠方での開催だったため、私はさらに一泊して帰ってきたのだが、他の参加メンバーがすでにアップしていたオフレポを読み、きゃー!と叫んだ。
先入観を持たせるまい、とこれまで一切触れずにきた私の外見的特徴について、オフレポの中で惜しげもなく語られていたからである。
「『八頭身美人でした』と書くように」という注文はしっかりつけてきたが(誰ひとり書いてくれていなかったが……)、肝心の「容貌についての具体的な記述は控えるように」という口止めをすっかり忘れていたのだ。しかしいま思えば、これで私の中で何かがふっきれたのだった。
もうひとつ、こだわりを軟化させるのに一役買ったものがある。
ここに手紙の束がある。リクエストしてくださった方々に旅先から絵ハガキを書いたら、お返しにとクリスマスカードや年賀状を送ってくださったのだ。
数日前にはその人の手元にあったものが、いまは私のところにある。初めて目にする本名と肉筆の文字。この人は海の向こうに、この空の下のどこかにたしかに存在しているんだなあという思いはメールでは実感できないものだ。
実生活での関わりがなくコミュニケーションをメールに依存する関係は、風向きの変化であっけなく消滅してしまうことがある。しかし、この先どんなかたちで音信が途絶えたとしても、彼ら------私を信用して本名を教えてくれた人、直筆の手紙を交換した人、顔を合わせたことのある人------は私の胸に何かを残すだろうという確信がある。
このふたつの「モニターの向こう側の人たちとのオフラインでの交流」が私に心境の変化をもたらした。

とはいえ、私はかなりの照れ屋。掲示板を置いたりリンク集を公開したりということはこれからもない。
でも、オフレポはいくつか書けたらいいなと思っている。会いたい人には臆さず「会いたい」と言おう。これが今年の抱負。できることは全部やっておきたい、身軽なうちに。
長いあいだ、「どことの交流も感じさせない独立したサイトにしていたい」という気持ちが強かった。けれど、ここのところ楽しみの幅が広がったような気がしている。

【あとがき】
二年以上日記を書きつづけているといっても、私の個人情報はサイト上には存在しないわけです。それでも、絵ハガキ送りますと言ったらリクエストしてくれる方がいて、住所や名前をためらいなく教えてくださる。自分で声をかけておいてなんですが、これには驚いたし感激しました。この人たちを大事にしようってそりゃあ思います。