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2002年07月12日(金) 呼び捨て

ジャニーズの若いアイドルが、街で見かけた女の子に声をかける。
「ねえねえ、君たち、ちょっといい?」
「うっそお、剛じゃん!えー、なにこれ、テレビ?」
「そうそう。名前教えてよ」
「エリカ」
「あたし、ユイ」
私がジェネレーションギャップという単語を思い浮かべるのはこういうやりとりを目にしたときだ。時代が違うなあと哀愁のようなものが胸をよぎる。
私と同年代で、人に名前を尋ねられたときにとっさに下の名前が出てくるという人はかなりめずらしいだろう。私の答えは「山田です」か「山田花子です」だ。相手が誰であろうと、どういうシチュエーションであろうと、「花子です」がぽんと出てくることはない。
私たちは「下の名前を呼び捨て」に慣れ親しむ機会が、いまの子よりもずっと少なかった。いまなら学校の英語教師はネイティブで、授業中はクラス全員が下の名前で呼び合うなんてこともふつうだろうが、私たちの頃はそうではなかった。学園ドラマで教師が生徒を「アキラ」「ミユキ」と呼んでいるのを見ると体がむずがゆくなるのも、自分の時代には存在しなかった風景に違和感を覚えてしまうから。私たちの名前がたいてい「子」がついた地味なものであったことも、呼び捨て文化が育たなかったことと無関係ではないかもしれない。
そんなわけで、身内や同性の友人といったきわめて近い存在からしか呼び捨てにされることがなかった私は、三十年の付き合いになるというのにいまだに下の名前を単体で使うことに慣れることができない。
どうも照れくさいのだ。自分のことを「花子ねえ」というふうに言ったことももちろんない。その一方で、なまじ呼ばれ慣れしていないために呼び捨てに憧れを抱くようになったのも事実である。
ティーンエイジャーの頃、彼ができたらしてみたいと憧れていたことがいくつかあった。彼と一緒にスーパーで夕食の買い物をする、ふたりで共同のお財布を持つといったささやかな事柄ばかりだったのだけれど、その中でひときわ輝いていたのが「下の名前を呼び捨てされたい」というものだった。
私は男性に呼び捨てにされたことがない。私の名前が花子だとするなら、いつも「花ちゃん」か「花」。夫と出会って、「花子さん」というバージョンが加わったくらいである。
どのカップルにも付き合いはじめの頃に「なんて呼んだらいい?」「じゃあねえ」という会話が存在するはずだが、私はリクエストしなかったのだろうか。
……しました、もちろん。
が、そのたびに「なんか言いにくい」「女の子を呼び捨てにはできない」「妹と同じ名前だから呼び捨てはちょっと」などと言われ、チャンスを逃がしつづけてきたのだ。
恋愛に関して「結婚前にこれだけはしておきたかった」的な思い残しはないつもりだったが、そういえばこれだけは叶えられなかったな。

友人の家に電話をかけたら、彼女の夫が「ママー!小町さんから電話ー」と叫ぶのが漏れ聞こえてきて、受話器を取り落としそうになった。
昨年家を訪ねたときは「チカコ」と呼ばれており、うらやましく思っていたのだ。でも子どもが生まれたら、生活といっしょに夫婦間の呼び名も変わっちゃうのね……。
夫に呼び捨てにしてもらうのはとうの昔にあきらめた。が、せめて「小町さん」は死守しよう。「あなたを生んだ覚えはない」なんてへ理屈が言いたいのではない。ただ、あまりにも色気がなくてイヤなの。
これから何人子どもを生もうが、押しも押されぬ立派なオバサンに成長しようが、夫に「ママー(orお母さーん)、バスタオルとってー」なんて呼ばれてもぜったい持って行かないんだから。うん。

【あとがき】
不思議なことにハンドルネームは別なんですよね。「小町」に名字をつけようとはまったく考えませんでした。以前のサイトをしていたときは別のハンドルを使っていましたが、それも漢字2文字で和風な名前でした。サイトリニューアルなんかでハンドルを換える人はめずらしくないけど、ローマ字の人はまたローマ字、名字つけてる人はやっぱりまた名字つき、というふうに、新ハンドルも方向性は同じような気がします。そりゃあそうか、ハンドルほど個人の趣味嗜好が反映されるものはないんだから。