過去ログ一覧前回次回


2002年04月25日(木) テキストの採点

先日、ある方からいただいたメールの中にこんな一文があった。口はばったいけれど、書いてしまおう。
「小町さんの文章は熱いけども、決して説教じみてはいないので好きです」
なんだこいつ、自慢してんのか、と言われてしまいそうだが、そうじゃなくて。私が言いたいのは、「文章が熱い」の部分に新鮮な驚きを感じたということである。
日記を書くようになって一年半。メールや公共の掲示板で、いろいろなコメントをちょうだいしてきた。日記の内容に対する感想であったり、「もっとおっかない感じの人かと思ってました」的な、私の印象に触れたものであったり。しかしこういう一文、つまり私の書く文章全般に対してどういう印象を持っているかについて述べられたものをいただくことはあまりなかった。
私は一話一話の内容についてどう、というのではなく、私の書くもの全般に対して人がどういう印象を持っているのかについて、とても興味がある。私は自分の文章の傾向を「堅い」「生真面目」「過保護」と自己分析しているのだけれど、「熱い」という言葉は思い浮かべたことがなかった。それゆえ、この表現をとても新鮮でおもしろいと思ったのだ。

話が変わるようだが、「たかが趣味」と言いつつ、web日記を実はけっこう気合を入れて書いていたり自分のテキストを作品として捉えている人は案外大勢いるんじゃないだろうか。そんなあなた、第三者に自分の「文章を紡ぐ力」がどれだけのものかを評価してもらいたいと思ったことはないだろうか。
私はある。書く能力や書いたものの巧拙のほどを然るべき人に採点してもらえないものかなと思う。が、これがむずかしいのは、誰にでもお願いできることではないからだ。
テキストを「料理」にたとえてみる。私たち素人が料理の出来を判断するとき、基準にするのは「自分好みか、否か」という点である。好きな味であれば「これ、イケる」、そうでなければ「おいしくない」に分類される。
しかし、その道のプロ、たとえば料理評論家と呼ばれる人たちはそういう観点で料理の完成度やシェフの腕前を判断することはない。素材の持ち味は生きているか、火の通り加減は、食感は、味のバランスは、彩りは、料理と器の相性は、一皿食べてのボリュームは適当か。彼らはさまざまな切り口からシェフのセンスを、技量を、才能を見抜く。
それは、その人自身が食や調理に関する知識と経験、違いのわかる舌を持っているからこそできることである。
テキストも同じだ。人の書いたものを評価するには、読み書きのセンスはもちろんのこと、広い視野や知識も持ち合わせている必要がある。ふつうの人間がトライしても、感想の域を出ることはないだろう。
ここを始めて間もない頃、テキストサイトのレビューを売りにしたあるサイトに取りあげられたことがある。
「2000年秋に結婚された女性の方のページです。末永く続けてください。しかしこの日記の量では、なんか製作者がすぐに飽きてしまいそうな気がします」
誰でも彼でもがやると、せいぜいこんなものである。
少女漫画雑誌には、漫画家志望の人たちが投稿した作品をプロの先生方が審査するコーナーがある。
「絵的なレベルは高いが、エピソードが希薄。主人公の性格がわかりづらく、感情移入できない。人物を絡めたストーリー展開を」
「人物の表情が描けていない。顔の傾き加減、目や口の動きをよく観察して。セリフに頼らず、絵によって感情表現するように」
といった、技術的な欠点の指摘とアドバイスが掲載されている。
いいなあ、こういうの。思えば、正しい文章の書き方や作法なんてなにひとつ知らない。起承転結の組み立て方はおろか、句読点の打ち方さえも。
基本的な読み書きができれば、とりあえず不自由はない。が、昨日より今日、今日より明日、少しでもいいものを書きたいと思うなら、自己流ではある程度のところまでは達しても、それ以上の成長は望めない。
まずは現実を知るところから。「少女漫画グランプリ」のテキスト版、どこかにないかしら。

【あとがき】
という日記を書いた後、家にあった雑誌の中に「あなたの原稿を審査いたします」の文字を発見。「本を出版する------それは限られた人たちだけに与えられたチャンスではありません。まずはあなたの原稿をお送りください。私たちがていねいに拝見し、3週間以内に審査結果を正直にお知らせします」という出版社の広告であった。ふうん、正直に、ねえ。ためしに送ってみようかしら。もし送ったら、どんな結果が返ってきてもミエをはらずそのまんま紹介しましょう。