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2002年02月11日(月) 夫婦別姓

連休3日目、友人宅を訪ねた。マンションの一階まで来て、何号室だったかなとずらりと並ぶ郵便受けに彼女の名前を探す。
「あった、あった」
しかし不思議なことに、彼女の姓と一緒にもうひとつ別の姓が記載されている。彼女が自分の両親と同居しているという話は聞いたことがない。首をかしげながらドアの前まで行くと、やはり表札にもふたつの姓が仲良く並んでいた。
「知らなかったわ。ノリコさんが自分の親と同居してるなんて」
すると彼女は紅茶を淹れる手を止め、きょとんとした顔で言った。
「同居?してないよ?」
「表札とかポストにふたつ名字があったでしょ。ダンナさんが“マスオさん”してるんじゃないの?」
それを聞いて、彼女は笑いだした。
「あれ、言ってなかったっけ。私ら籍入れてへんのよ」
日本では男女は婚姻届を出して初めて「夫婦」と認められる。入籍していないということはすなわち、「結婚していない」ことになる。
しかし、手土産のケーキを食べながら、「晩ごはんが遅いから二キロも太った」「義理の両親が子どもはまだかまだかってうるさくて」と愚痴をこぼす彼女はどこから見ても立派な若奥さん。パートタイムの仕事に出かけ、食事の支度をし、Yシャツにアイロンをかける。会話中にも「独身時代はさ」「やっぱり結婚すると……」といったフレーズが自然に登場する。
私は心の中でポンと膝を打った。そうか、これが「事実婚」なのだ。

先日、あるニュース番組で「夫婦別姓を考える」という特集をしていた。長く事実婚でやってきた一組のカップルがやむを得ない事情で籍を入れることになったという。
「おなかの子供を非嫡出子にしないために、一時的に法律婚にしておく必要があるんです。でも、私は公認会計士としてのこれまでのキャリアを改姓によってリセットするわけにはいきませんから、出産後すぐにペーパー離婚します」
確固とした主義主張もないのに結婚を「紙切れ一枚の問題」と言う人がたまにいるが、ああいうのは好きになれない。しかし、ここには考え抜いた末の苦肉の策として、婚姻届・離婚届を「紙切れ」にする夫婦がいる。彼らは自分たちの望む生き方をするために、戸籍に“キズ”をつけてまで妻の姓を取り戻す。
これまで私は改姓に異議を唱えたり拒んだりできるのは限られた女性だけだと思ってきた。職業人として確かなビジョンを持っている人や家名を継がなくてはならない事情のある人が主張するからこそ聞く耳を持ってもらえるのであって、ふつうの女性がなにを言ったところで無駄だろうという冷めた気持ちがあった。
そういう意味では、この公認会計士の女性の毅然とした態度には「すごいな、さすがポリシー持って仕事してる人は違うな」と素直に頷くことができた。
だから、ノリコさんの婚姻届を出さない理由を聞いて驚いた。私たちの出会いは職業訓練校だったぐらいだから、彼女は独身時代から継続する職業を持っているわけではない。それに兄弟もいる。にもかかわらず、彼女は屈託なくこう言ったのである。
「だってなんで私が変えなあかんの?小町ちゃんは名字変えるのイヤじゃなかった?」
私自身は姓を変えるとき、「どうして私が」とはほとんど考えなかった。本籍地をどこにするかで夫と少々もめたときに「結婚において男と女は平等ではない」を痛切に感じたが、どちらの姓にするかを話し合おうということは思いつきもしなかった。
私は結婚におけるさまざまな男性優位の風潮に歯ぎしりしながらも、「そういうものだからしかたがない」と無意識のうちに考えることを放棄していたらしい。

現在の法律のもとでは結婚に際し、男性または女性のいずれか一方が必ず姓を改めなければならない。
しかし、改姓する側に発生するさまざまな不便や不利益が問題になっている。そこで、現在国会で導入が審議されているのが「選択的夫婦別姓制度」である。夫婦は同じ姓を名乗るとする現在の制度に加え、夫婦が望む場合には、結婚後もそれぞれが結婚前の姓を名乗ることを認めようというものだ。
私はこの選択的夫婦別姓制度にはおおむね賛成である。機会は平等であるとはいうものの、現実には女性の改姓が九十七%を越えている。妻の改姓を当たり前だとする風潮は、「妻は夫の家に入ること」「女は家を出て嫁に行くもの」という封建的な時代の結婚観の象徴であり、女性は社会的活動を行わないという決めつけからくるものだ。この状況が続く限り、夫や義理の両親の中に「○○家の嫁」という意識は生き続けるし、女性はいつまでたっても社会的にセカンド・クラスでしかいられないだろう。
夫婦別姓に反対する意見の中には「家族の一体感の喪失」「子どもへの影響」を懸念する声がある。しかし、家族というのは姓で結ばれるものだろうか。結婚して親・兄弟と姓が変わったら、愛情や絆まで弱くなってしまったという人がいるだろうか。
また、「親と名字が違ったら子どもがかわいそう」と言う人がいる。血と愛情で親とつながっている子どもを「姓が違うから幸せでない」とする見方は、一方的で傲慢な押しつけのように思えてならない。
世の中にはさまざまな価値観があり、生き方がある。「夫婦別姓は父さんと母さんが一緒に考えて、一番いいと思って選んだんだよ」と両親が教えてやれば、子どもは十分理解できるのではないだろうか。そもそも同姓夫婦と別姓夫婦、どちらが上でどちらが下ということはないのだから。
「同姓が家族の一体感を強める」と考える人は同姓を選べばよい。この制度は夫婦別姓を強制するものではないのだ。

夫婦別姓の実施によるメリットはいくつもあるだろう。「自分が自分でなくなるようで悲しい」「名義変更の手続きが面倒」「職場などで戸籍名と旧姓を使いわけるのは大変」といった精神的苦痛、社会的不便の改善もそのひとつだ。
しかし、選択的夫婦別姓制度導入の最大の意義はそんなことより、日本国憲法にうたわれている、結婚における「夫婦が同等の権利を有すること」「個人の尊厳と両性の本質的平等」が長い間ないがしろにされてきたことに人々が気づくきっかけになるところにあるのではないかと思っている。
夫婦別姓が社会に浸透すれば、「嫁に出す」「嫁をもらう」という意識は変わるはずだ。「そういうもんだ」の一言で、女性が枠にはまった嫁の役割を押しつけられることも当たり前ではなくなるかもしれない。
そんな期待を込めて、私はこの法案を支持したい。

【あとがき】
参考までに、平成13年に行われた「選択的夫婦別氏制度」に関する世論調査の結果の一部を紹介しておこう。「希望する場合には、夫婦がそれぞれの婚姻前の姓を名乗ることができるように法律を改めてもかまわない」と答えたのは42.1%の人だったが、「そのように法律が変わった場合、あなたは別姓を希望するか」と聞いたところ、「希望する」18.2%、「希望しない」50.3%、「どちらともいえない」30.5%という結果であった。これは、「自分のこととして考えている」人よりも、「自分はどうするかわからないけれど、そういう選択肢があってもいいと思う」と考えている人が多いということだ。
さて、もし制度が施行されたら私はどうするか?正直、そこまでは思いが至らない。子どもがいるかどうか、夫婦間・親の状況などを鑑みる必要があり、そのときにならないと答えを出せる問題ではない。しかしひとつ言えるのは、私は1年と3ヶ月使ってきた現在の姓にも愛情を感じているということだ。