ぶらりひとり旅...maya

 

 

動く城観た。 - 2004年12月01日(水)

 ハウル観てきました。
 原作読んだのがわりと前なので、映画との違いに気付くというよりむしろ全く別モノのハウルを観た、という気分です。
 観る人によって今回の映画のメインは城だったりハウル単独だったりソフィーとの恋模様だったりすると思うのですが、私は鳥状態になってるハウルに夢中でした。
 思わず

「アバタールチューナー!」

 と、まんま呟いてました。無意識に。だってだって、腕だけ悪魔化(?)してるのとか羅刹状態っぽくないですか。あと敵魔女の使い魔みたいのを引き付けて一気に葬るところとか、アバ2OPの水色の子と姿がシンクロしましたし。
 ハウルの姿がもどらないことに慌て心配するソフィーに、「歌えばもどるよ!」ともどかしく思いました(ゲームやってる時はあれが鬱陶しかったものだけど)。

 いつもいつも表現方法が乏しくて(というかメガテン一辺倒)申し訳ない。

 なんにせよ、見どころ満載だったとです。原作読んだ時には密かに(?)ハウルよりソフィーの方が良いなぁと思っていたのですが、映画の方でも私はソフィーがお気に入りです。声が別の人だったら(若い人)もっと好きになったと思うんですけど。ところで映像の面ではCGという技術が進歩しても、音声の面ではどうなんですか? 全く無い新しくかつ自然な声色を作る事って出来るんでしょうか? その技術も可能になったら、でも声を充てる人が必要のない時代が来る可能性もあるわけで、それに見た目と耳で味わうのも全てイミテーションの作品となってしまうわけで、となるとやはり、キャラクターに魂を込める、という意味で映像作品に於いて声優さんが声を吹き込む事のなんと大事なことか、と納得させられます。

 話しが別の方向にずれました。

 ハウルに戻ると、原作と違って戦争表現が露骨だったと思うんですが、気のせいでしょうか? 別に戦争というモチーフを持ち出さなくともハウルという魔法使いの必要性と魔王になるかもしれない、という焦燥感や哀惜感みたいのは、表現できたと思うのですが、話と設定が噛み合って無いと思う点が幾つもありました。戦争が起こってる理由も聞きそびれたのかわからないままだったし(だからそもそもあの物語で戦争表現は台詞に上げる程度で充分じゃなかったのかと)。カブもいつのまにソフィーに恋を?みたいな。あとソフィーの呪いがどんどん溶けて若い姿を取り戻す時間が長くなってゆくあたりの描写も、説明不足と思うし。90歳になった直後はあんなに動転していたソフィー。自分を美しくない、と言っておきながらハウルに抱き着いたり(この辺はまぁ、別にいいのかもわからんけど)愛の告白したりとか、しないと思うんだけど。だって自分を90歳のおばあちゃん、と思ってショック受けてたわけじゃないですか。それともそういう自覚すら忘れて一途に恋に走った、ということなんでしょうか。

 とかなんとか書きつつも、萌える部分も幾つか。小ハウルがカルシファーを飲み込むシーンと(あれはぜひスクリーンいっぱいのどあっぷで観たかった!!!)、あとそれから溶けかかって階段を昇らされてくあのシーンの、さらに局地的な部分。萌えというかハァハァした。


 もっといろいろ語りたい事とかあるんですが、ここんところ毎日のHP&MPの消費量に対して回復が追い付かないので、今日あたりは少し早めに寝ようと思うのでこの辺で日記はしめます。
 


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