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2007年03月27日(火) 運命と神様。



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運命なんかない、神様なんかいない。

同じ人に 何度も言われた記憶があると言う事は、私が事あるごとに
この二つの言葉を口にしていたと言う事なんだろう。

運命は私はネガティブに使ってしまうキライが確かにあるかも知れないが
元々は親が良く使う言葉で、良くも悪くも使い方はポジティブだった。
どんなに理屈に合わないと思われる事が起きても、それは現実に
起こってしまった事なのだから、運命として受け入れるしかないのだ
母は事あるごとに私に言っていた。

色々なものを無くして来たから、今握っている小さな手もいつか
遠くへ連れ去られるような気がして、怯えている娘に彼女は言ったのだ。
「それは、その子の運命なんだよ」

母が言うには、弟が大学時代、どうにもこうにも それまで大人しかった
反発が一気に出たようなオバカな行動しか取らなくなり
免許取りたての車に乗ったまま、朝まで帰って来ない。止めても出て行く。
そんな時、救急車の音が聞こえると心臓が止まりそうになったと言う。
それで、何時の間にか、自分に言い聞かせていたと言うのだ。
何もない、だけど何かがあったなら、それがあの子の運命なのだ と。

母方は非常に生命力逞しく、割り切り型の思考をする女性が多い。

神様は私が何時の間にか心の中に作りあげてしまったものだ。
それは形が無い。 具体的なイメージもない。
お願いする時と、感謝する時にその名前を口にする事がある。
いやな事があっても神様は恨まない。 運命を嘆く事はあるが。
『運命』と『神様』 私が生きるために、とても大切な言葉だ。

皮肉な運命だと思う事がある。神様は意地悪だなあと口にする事も
あるけれど、それは何とか受け入れて模索している時だ。
受け入れなければどうにもならない。 私の運命神様も実際は何も
してはくれないわけで、だからやっぱり「存在しない」と言う指摘は
正しいんだろうな、と思う。
ただ、私には必要なのだと言うだけなのだろう。


余談ではあるが
祖母は本当の神様を奉っている。 75年前、某寺から身体の弱い
祖母が曾祖母に連れられて行き、頂いて来た、祖母の守り神だ。
強い神様である。安易に名を出してはいけないと言われる事もあるが
19日に新鮮な卵を捧げる神様と言えば、詳しい方はお判りになると思う。
75年、ご神体への礼を欠かした事はないと言う。
(祖母が入院してからは誤差一日と言うのが実はあったと聞いたが)

本家は潰れた。一家は離散になった。 かなり昔だ。
祖母と神様と仏様が 我が家にやって来た。
祖母は色々な人を苦しみのどん底に叩き込んだきり 行方も知れない末息子を評し
「あの子のおかげで私の生活レベルは向上した」
と言うような ものすごい事を言う人なので、ご神体のある強い神様は
ぴったりであるのかも知れない。

家族が介護の限界を感じ、病院への入院を勧めた時、光が神棚から
漏れるのをみた!
と言って聞かなかったそうである。
神様は、やはり普段は病院でおばあちゃんの傍にいるのかなと思う。


幼い頃からその神棚をずっと見上げて、何も知らず祖母の仕草を真似ていた。
だから余計に、事情を知ってからは 形ある神様はイヤになったのかも知れない。

私の神様には形はなく、中身もない。
叶えば感謝する。叶わなければ運命なのだ と。



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