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馬鹿な生き方などと言う物はないと言う人がいるだろう。 だが馬鹿な生き方と言う物はある。
常に選択を迫られ、間違うと元の道は遠くなり過ぎて 戻るのは ほとんど不可能なので、選んだ先でまた選ぶしかないのだが そこでまた間違う。間違うと・・・
そもそも人生の選択に間違いなどと言う物はないと言う人もいるだろう。 だが選択間違いと言う物はある。 それを言うなら間違わない人などいないという人もいるだろう。 そんな人には今結構ポジティブな心境ですねっと応えておこう。
選択肢は実は、頻繁ではあるが いつも似たような形で現れる。 だから毎度間違う人は人生の学習能力が無い人と言えるかも知れない。 自分の間違い自体に何時まで経っても懐疑的とも言えるかも知れない。
こないだは右へ行って間違ったので・・・今度こそは右だ
と言った感じだ。これをやり続けると人生の負けは混むが 競馬なら たまには勝つかも知れないなと思う。
私は人生の学習能力がない。今までは、運や何やらのせいにして来たが、 結局、そう言う事なのだろう。 判ったのだからこれからは学習する方向で行けばいいのかも知れないが 判るだけならずうっと前から判ってはいたのだと思う。 判る事と、それが出来る事はまた別の問題なのだ。
10回ほども考える機会があって、それを全て間違った方に答え 何が何だか判らなくなって途方に暮れる。 あらゆる事を喋り過ぎにも拘らず、訊ねたい事は何一つ訊ねておらず 持ち札はいつもゼロである。
習慣をしばしば失くす。 習慣と言う物は変わるだけでも割と億劫だが、失くすと とても苦しい。 習慣を残す事だけについてだけでも考えるべきだった。
間違った選択を振り返ると言うのは、こんな感じだ。
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