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2006年04月19日(水) 縦結び。


「奥さん、縦結びになってるよ。こんなお目出度い日に縁起の悪い」

7年前のことだ。
産婦人科の処置室の前で、年輩の婦人が私に話し掛けて来た。
死んだ人の着物は縦結びにすると言う。私はそれを知らなかった。

出産予定日を10日過ぎていたが、生まれる気配がない。
促進剤を打って3日目、この日が限界と判断されたようだった。
って言うか、もっと早くに帝王切開で早く出して欲しかったのだが
主治医の先生は 「下から産ませてあげるよ」 が口癖だった。
いやもう本当に、上からでも真ん中からでもいいですと言う元気も
最早なくなっていた。

年輩の婦人は婦人科の病で入院中だったのだろう。
苦笑して 指先も覚束ない私に変わって、検査着の結び紐を直してくれた。
「ほら、これで直った」
ぼんやりした頭で、お礼を言った事を憶えている。


母が面倒を看てくれてはいたが、病室で私は一人だった。
父親になる人は来ない。どこかへ行ってしまい、戻らなかった。
カーテンを閉めて休んでいると、隣のベッドから話し声が聞こえて来た。

「今は予定日からずれる事はほとんどないんだって。だから・・・」

私が眠っていると思ったのだろう。
隣りの産婦さんに悪気がない事は判っているので、感づかれない様に泣いた。


病院には当時、研修生の一団が勉強に来ていた。
中に一人、男の子も混じっていた。現役の大学生だ。
彼らの仕事ぶりは、とても熱心だった。
彼らに、実際の出産の現場を見せる機会を与えてくれないかと打診が来た。
その時は まだ分娩予定から数日の遅れであったので、私は引き受けた。

婦長さんは大変喜んでくれ、学生さんも喜んでくれ、みなで出産を待ち侘びて
くれたまでは良かったが、縦結びを指摘されたその日、息子の心音が突然弱り
病院中を大騒ぎさせた挙句、手術予定の婦人科の患者さんに変わってもらい
緊急手術で出産となった。
結局、学生さんたちにお産を見せてあげる事は出来なかったのである。

「ごめんね〜」 と私は言ったが、学生さんたちは息子を可愛がってくれ
特に、個人担当をしてくれた女性とは今も年賀状のやり取りがある。
彼女も今では結婚して、既に一児の母となっている。
そのあと、お産立会いを許可した妊婦さんはいなかったので 学生さんは
出産の瞬間に立ち会わないまま研修を終えたらしい。
どうにも男の子が問題となったようで、これまた判らないでもないが
気の毒な事だ。


私よりずっと後に入院して、ほとんど同時に生まれた女の子に、強い黄疸
症状が現れた。息子は黄疸症状は軽くあったと言うが、色は白いままだった。
ベッドで、まだ感情が不安定なお母さんが泣き叫んでいた。

「隣りの子の顔見てみなよ。全然色が違うから、なんでうちだけ?

優越感なんてあるはずもない。
子供が無事なのは嬉しかったが、問題は山積みだった。
息子の顔は確かに真っ白だったし今も白いが、私の家系は特に色白ではない。


退院するまでに、病院側から検査の申し出があった。
産まれたばかりの子から血を採るが、代謝異常などが早く判ると言う。
これも受けた。沢山の人の手で守られて息子は今、7歳になった。


2年生になって初めての授業参観が終わり、帰り支度をする子供達は
それぞれ仲間同士、遊ぶ約束を交わしたり かなり一丁前な様子を見せ初めて
いる。 息子は「どせい〜、どせい〜」と言いながら、私の周りを回って
いたが、やがて流星のように、家路に付いて消えて行った。


病院が、とても寂しかったと言う記憶は今も消えない。
沢山の人が励ましてくれたが、縦結びにしたまま 呆然と検査室の前に
座っていた時の自分の中が、とても孤独であった事を時折思い出す。






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