目次 / 戻る / 進む
今まで人に一番優しくされたのは、妊婦な時期であった。 妊娠期間はトラブル続きで、救急車にも2回乗った。とほほん。 鼻の血管が拡張すると言う、字で書くと結構大笑いな奇病に襲われて 鼻血がぶー過ぎて貧血と言う、今書いていても悲しくなって来る 症状で、産科と耳鼻科の両方の先生をびびらせたり 巨大筋腫が子供と一緒に育っていたり 生まれる気の全くなかったらしい息子が、3日間陣痛促進剤連続打ち 攻撃に負けて、ようやく出ようという時になって頭が挟まってみたりで 散々だったが周囲は優しかった。 子供に何かあったら責任が〜・・・と言う事も無論あるのだけれど 街を行く人の目も優しかった。あれは妊婦の私にと言うより、これから 生まれる子供に向けられた目であったのだろう。
人は見守られて生まれる。ただ泣く事しか出来ないうちから、その手を 誰かが いつも握っている。やがて少し大きくなると、自分からそばに いる人の手を よたよたと追い掛けて握りに行くのだ。
一生のうちに誓いを立てる機会もあるだろう。この手を離さないと 声に出して誓う。だけど、それは必ずしも守られるわけではない。 空になった右手を呆然と眺めていると、左手に別の手が縋り付いている。 この手は離しちゃいけないなと思うから、とにかく一生懸命に引いて歩く。
離されたらつらいが、時を過ぎて放されないのもつらい。 ぎゅっと握っていた力が弱くなったら、放してあげる時なのだろう。 左手に、もうずっと長い事つかまっている、今はまだ 小さな手に関して 言うならそうだ。
人は見守られ、誰かに手を引かれるように生まれて来る。 そして多くの人と手をつなぎ、離し、つないだ事、離してしまった事に 逐一悩んだり 苦しんだりして生き続ける。 やがて両手を綺麗に空にして、死んで行くのだろう。
|