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集団下校で、わらわらと帰って来た子供達。 息子は 朝一緒に登校している近所の女の子と、仲良く帰宅した。 集団下校は先週の金曜日から始まっている。 金曜と月曜、一年生が他の学年より下校時刻が早くなる日の事だけかと 思っていたら、火曜日も集団下校となっていた。
近所の公園で 低学年の女の子が「お父さんが帰って来たから一緒に行こう」 と言う、声かけに遭ったらしい。 ニット帽子を被り、サングラスを掛けたおじさんだそうである。 12月1日の事だと言う。 何となくだが、悪戯でやっている気がする。もし児童が本当に付いて来たら どうするつもりなんだろうか。 悪戯にせよ、やめた方がいい。 そのうち巡回父兄の袋叩きにあうぞ。 これもやはり、広島の事件に触発されて起きた物なのだろうか。
殺す事が目的の全てであり、それによって性的快楽や達成感を覚える殺人を 快楽殺人と呼ぶ事がある。 快楽殺人を引き起こす人間は人ではないと私は考える。 それを行う者は人ではない何かになると思うのだ。 生い立ちや、そこに至るまでの過程を追う事は興味深いが、結果から見れば 人でなくなってしまった物を人に戻す事には、最早 繋がらないと考える。 ただし未発達な性衝動によって それが行われてしまった場合、完全な成人と なるまでの段階で 矯正が可能であるとの専門医の主張もあり、半ば実験的と 思われる処遇を受けている例も ある事はあるが。
快楽殺人を起こす者の大半が、幼少の頃から小動物を虐待していると言う 事は、散々にあちこちで書かれて来た。 そしてこれは実際にそうである様だ。 小動物を殺してしまう事は、子供が時として うっかりやってしまう事だ。 カエルのお尻にロケット花火などは 男の子は昔、良くやっていた。 生き物の命が絶える瞬間が、性的な興奮と結び付くと言うのが、危険なのだ。 本当に危険なケースは、陰でこっそりと行われている事が多いのだろう。 これ見よがしに犬の死体を放り投げるのは、これもやっぱり問題だが 何かに対しての不満から来た行動であるなら、後味の悪さと共に止むか 他の種類の犯罪に移行するだろう。ただこれも、目標が人間に向かったら 危険である事に変わりは無い。
快楽殺人を犯す人間のほとんどは、快楽と言うくらいなので性衝動と 密接に結び付いた行動としてそれをする。 何者かになってしまうのだと言うのは、こちらが勝手に思っている事で 本人は欲求に忠実にそれを行うだけなのだろう。 人としての根幹の部分がどの瞬間に変質するのかは判断に迷うところだ。 だが、それは個々に起こる 人からの確実な枝分かれの瞬間だ。 化け物になると、私は呼んでいる。実も蓋もない言い方ではあるが。
今日、偶然に桜の花の話を 友人とした。 桜の幽玄な美しさに、時に私は畏怖を覚える。幾度も満開の状態を目に したわけではないのだが、一度みれば忘れない。それほどの姿を見た。 あれはもう、花ではないとその時感じた。
〜ではないと言う感情は必ずしも怒りから出るわけではない。 ただ、そうであるのだなと強く感じると言う事だ。 桜が延々と花びらを降らすのは10日余り、あとは大人しい葉桜となる。 彼らは根幹から花である事を止めているわけではないのだ。 ずっとずっと昔から、人に畏怖の念を植え付ける程美しく 咲いては散ってを 繰り返して来ているのだろう。
己が世界、他と共有出来なくなった場所にぽつんと居る人では無いもの。 快楽殺人者は、その 人として生きる事の出来なくなる様が「もっとも恐ろしい 殺人」と言われてしまうゆえんなのではないかと考える。
快楽殺人者についての本では平山夢明氏の「異常快楽殺人」が海外の 研究書を現代風に上手くまとめてあって興味深い。
だが、そんな呑気に構えている場合ではない。明日も集団下校なのか。 近くの某公園に出現した馬鹿者は特定出来るのか。
栃木の事件の一日も早い解決を、望んでいます。これ以上の模倣犯が 現れない事も。
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