もうちゃ箱主人の日記
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2010年06月17日(木) 「CDだって一回きりで聴かなあかん」

かつて、ライブ録音CDは一度聴いたら
 燃えてなくなってしまったらいい、、
  と思ったことがある。

また
 大切な曲 (例えば、《マタイ受難曲》やト短調交響曲)
 大切な録音
   は、1年に1回だけ、心をこめて聴きたいと思う。

 (そう思ってると、ついつい聴くのが億劫になり遠ざかってしまうのだが)



我が意を得たり
 と思うような文章を見つけたので
   ご参考までに、、、





@ 何遍も聴いたら感動が無くなる (笑福亭鶴瓶)

        ・・・・
談志師匠は『芝浜』。ええときの『芝浜』ね。
これは絶品。でも一回しか聴かん。僕はそれがええ。
志ん朝師匠の『文七』も一回だけですから。
一回聴いてもう聴きたくない思うたもんね。ていうか、もうそれでええやん。
もう一番最初のいいタイミングでいい印象が残ってるから。
それでもう一回聴くと、こんなとこもあんなとこもって
思うてしまうだろうしね。
何遍も聴くうちに「ここの息継ぎがどうこう」なんて細かいことに
気がいくようになる。
だから『文七』は一回しか聴いてないですよ。それで、もうこれだ!
っていうのが自分の中に出来あがってるんですよ。

あのね、何遍も聴いたらあかんと思いますよ。
そもそも寄席っていうのは噺家の体調と聴く人のタイミングでいいものに
出会えるから寄席なんですよね。
寄席の出会いは一回ですから。

だからCDも一回でいいんです。
何遍も聴いたらあかんのですよ。もうね、何遍も聴くな!と。
CDだって一回きりで聴かなあかん。
一期一会や。そうしないとダメですよ。
こんなもん何遍も何遍も聴いたら最初の印象がどんどんうすれて感動が
無くなりますよ。

で、聴き始めたら途中で止めたらダメ。
一時停止してトイレ立ったりとか、そんなん絶対あかん。
だからすることが何もない状況、寝しなに聴きなさい。
誰も部屋に入ってけえへんというね。
寝ながら暗くして。そうしないとダメですよ、落語は。

昼間に景色の見えるところで、なんていうのはあかん!

寝る時に一席聴こうと思って聴く。これ大事です。
CDやからもう一回聴けるとか思わない。
自分でこれが一席の独演会と決めて、まあ二席でもいいですよ。
志ん朝二席だったら例えば『堀の内』を聴いたら、あとは『文七』とかね。
自分でプログラム組んでね。始まったら最後まで集中して聴く。
落語の中に入り込む。

そうしないと志ん朝師匠に失礼ですよ!


 <落語ファン倶楽部3号 25頁>


もうちゃ箱主人