もうちゃ箱主人の日記
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2010年03月24日(水) 合歓の郷 オペラワイドセミナー

1971年というから、今は昔。

学生運動も下火になった頃、
こんな酔狂な(粋な)
催しがあり、参加しました。

モーツァルトのレコードでは
ちょうど、スイトナーの《魔笛》《コシ・ファン・トゥッテ》が発売され
参加者の中でも、話題になってました。
(ゲルデス指揮の《タンホイザー》とか、、)
当時、出始めのヴィデオ(!)で
ベームの《コシ・ファン・トゥッテ》と《フィデリオ》を
観たのも楽しい思い出です。


直前のNHK招聘したイタリアオペラの
スリオティスの酷評や、指揮者ファブリティスの鼻息の大きさ、
大きすぎるプロンプターの声など、興味深く聞いた。
翌年、来日するミュンヒェン・オペラの話題も沸騰。
 (その影響で、翌年の来日公演、貯金はたいて、みんな観ちゃった。。)

参加者の中には、
今をときめく音楽評論家 某氏の学生時代、若き日の姿があった。





こう、書いているうち
懐かしさがこみあげてくる。。。



なぜ、こんな話をというと

たまたま、Webで、下記記述をみつけたため。。
(いつ削除になるかしれないので、仮名に代えて、収録させて頂きました)







///////////////
@ 合歓の郷 オペラワイドセミナー


関西カゲキ派誕生秘話!

S田亮三氏が参加したあるセミナーにその秘密があった・・・
以下は雑誌「ロブスト」第3号(1971年12月20日発行)に掲載された「参加記」です。

ヤマハ・オペラ・ワイドセミナー報告
(1971年)9月24日〜27日、合歓の郷で行われたオペラワイドセミナー
 (オペラ・メイト主催)は、
大好評のうちに幕を下ろしましたが、その感想を、大阪の外科医であるS田氏と、
川崎の高校の音楽教師であるI井さんに、「参加記」として書いていただきました。(編集部)


「オペラ・ワイド・セミナー参加の記」

@ S田亮三
 イタリアオペラの興奮が未ださめない9月24日。
光化学スモッグでその名も高い大阪は堺の街をあとに、広芒70万坪の合歓の郷にやってきた。
空気がうまい。ここの空 気には亜硫酸ガスも窒素酸化物もなーんにも含まれていたいのだろう。
5時過ぎ東京か ら長距離バスでやって来た本隊が、賑やかに到着した。
これは予想に反して殆どが20 才代のピチピチした青年達ばかり。私の様な中年男の姿は見当らぬ。
しまった!無理算 段してこんな所へやって来たが、さてさてこれから3日間話し相手もなしに、
しょんぼ りと過ごさずばなるまい。
と嘆いていたところ、先づ当夜は音楽堂前の草原でビデオ映 画「コシ・ファン・トゥッテ」。
先づは結構なビデオでした。ところが上映が終わると 若者の一人から声あり。
「どうも中年婆さんが二人では興ざめさな」中年ぢいさんの私 は頭にカーときました。
ルートウィヒが若者に婆さんと思われるのは致し方ないとして も、ヤノヴィッツを婆さんとは・・・。
折角ヤノヴィッツの美貌にうっとり見とれて、 溜め息をついているのに、けしからん奴が居るわい。
(中年男のひがみ!)大体ビデオ が中年婆さんをアップで写すからいかんのです。
矢張りオペラは舞台で離れた処から見 るもんでしょう。

 当夜のスケジュールはこれで終り。それからはつい先刻初対面の挨拶をしたばかりの ルーム・メイトC原氏
(これも中年男)とベッドにもぐり込む。
ここ迄は未だお互に打 ちとけない雰囲気。
ところがこのC原氏とは、セミナーの終る頃には十年の知己の如く なろうとは! 
彼氏ベートーヴェン気違い。私はカラス気違い。
初めはさっぱり歯車が 噛み合いません。
何しろベートーヴェンはオペラはたった一つしか作ってないのですか らね。
ベートーヴェンさんは偉いお人でしょうが、私にはベルリーニの方が遥かに偉い 人なんです。
ところが次第に話しがはづんで来ました。
C原氏曰く「S田さん。私の隣 のベッドに来られませんか」
「ではそうしましょう」という事になって、ペチャクチ ャ、ペチャクチャ。
ベートーヴェンが押してくるとカラスが引き込み、カラスが押せば べートーヴェンが引き下がる。
かくして午前3時。「もうねましょうぜ」


 第2日。
9月25日は属啓成先生の講演で始まる。
題して、「オペラの起源と歴史」17世紀18世紀は詳しく、あとは駆け足。
イタリア序曲と フランス序曲の違いは 急-緩-急と緩-急-緩だ、でな事は
書物で覚えて知ってるけれど、テープで実例を聴かして貰うとよく分かりました。

 午後は1時から4時までレコードコンサートだと些さかうんざりしていたら、
スタッフの親玉の野口氏(この人びっくりする位若いのだ)気を利かしてレコード聴きはちょっぴり。
あとはオペラクイズをやってから、天気が良すぎるので皆んなで合歓の郷一周 ドライブと決定。

 オペラクイズ。これは傑作でした。
何でも小林利之先生が作ったという意地悪い問題。
曰くベルリーニの「清教徒」の中のエルヴィーラのアリアを6人の歌手が歌います。
名前を当てなさいというわけ。
歌手はフレーニ、サザーランド、カラス、モッフォ、ドイテコム、ゲッツィ。
さあ誰でしょうとテープが回り初めます。
私はカラスとサ ザーランドのレコードは持っていて、カラスは大好き、サザーランドは大嫌いだから
2 人は先づ区別出来ると。
さてフレーニの清教徒は確かアリア集にはある筈だが、私の持 っているレコードには無かったなあ。
モッフォが清教徒を歌うなんて聞いた事ない。
しかしフレーニもモッフォも好きで他の曲なら大分聴いてるから何とか分かるやろ。
ドイテコム、ゲッツィさんはお名前を存じているだけで、声も知らねば顔もよく知らん。
そこで6人のうち何とか4人わかれば、あとはあてずっぽうで1/2の確率だと耳をすまして謹聴。
ところが聴くうちアリャリャ。
何しろこのアリアは低音部が無くて高いところ許りをサラサラ流れてる。
これじゃ私の耳ではカラスの声がやっと分る程度。
うろたえました。あわてました。もうちょっと低いとこやって呉れたらなあ。
かくて私の答案は目茶苦茶。
しかし驚いたなあ。あとで採点結果が発表されると、満点が1名、6問中 4問正解が5〜6名。
これ皆若い人許り。
ヤングパワーの耳の良さに敬服。
それにして も小林利之という人は意地悪いオジサンだな。
満点の御褒美はオペラの全曲レコード。


 あとはカラリと晴れ上がった広い広い合歓の郷をマイクロバスで駆け足見物。
次は夕 食まで白黒映画「セヴィリアの理髪師」ベルガンサのロジーナ。
しかしつまらなかった なあ。これは昼寝の時間にした方が良かった。

 夜のビデオ「フィデリオ」(日本初公開)は楽しめた。
いつかテレビでアニア・シリ アの「フィデリオ」を観たが、矢張りレオノーレは
今度のギネス・ジョーンズの方が様になる。
ベームの指揮もよくしまり緊迫感が盛り上がりました。
しかしビデオのオペラなるもの拡がりの無いのは致し方ないにしても、
演出面ではこれは映画なのだからオペラに似て非なるもの。
まあお目当てのプリマ・ドンナのアップの顔でも見て楽しむもんでしょう。
これは内垣啓一先生の解説入り。
内垣氏に就いては、昨年の万博公演「ライ ンの黄金」を御覧になった方は、
あの颯爽とした名演出を思い出されるでしょう。
私は 今度は内垣演出の「ワルキューレ」を大阪で観られる日を首を長くして待っています。
第2日目はこれで終わり部屋へ帰りましたが、今夜はベートーヴェン氏もカラス氏もグ ロッキー。
すぐに眠って仕舞いました。


 第3日は柴田南雄先生の講演「現代オペラのゆくえ」で始まりました。
アイネムの 「審判」ツィンマーマンの「兵士たち」それにペンデレッキーの「ルードゥンの悪魔」と
来た。
レコード演奏を交えての解説。12音音楽と聴いただけで蕁麻疹の出そうな私ではあるが、これもオペラなんだと云い聞かせて謹聴。
こんな私でも「ヴォツェック」 には感激し、「ルル」を観ては何となく分かるのだがなあ。
「ルードゥン」なんか所々 聴こえてくるドイツ語、随分きわどい言葉がある様です。
何れにせよ我等中年オペキチ としては、これらの現代オペラも少なくとも知識として受けとめねば
なるまい。

 昼食終わると今度は往年の活動写真「戦艦ポチョムキン」の上映。
ポチョムキンとオ ペラとどういう関係があるのでしょう。
次は待ってましたのシンポジウム「日本オペラ 運動の今後」
出席は内垣啓一、三谷礼二、原田茂生、司会は野口政治。
予定されていた NHKの福原信夫氏の欠席は甚だ残念。
原田さんはオペラ歌手ですが、内垣、三谷の両氏は人も知るオペラ演出の大家。
勢いオペラ演出論が中心となりました。

先日のイタリ アオペラの演出は、ケチョンケチョンにやっつけられ、
大家の毒舌に参加者一同ボー。
私は内垣氏の演出はさきに述べた「ラインの黄金」の舞台を観て敬服していますが、
三谷氏に就いては演出家として新進の頭のするどい人で、東京室内オペラでは名演出を見せて
おられるという事を聞き知っているだけ。
一度も彼氏の舞台を観ていない。私は演出家としてではない三谷氏が、かねてから憎らしくてしようがないのだ。
何故なら或音 楽雑誌の記事によれば、ほんの数ケ月の欧州旅行で
私がこれから一生かかっても観られない位のオペラを観ているのだ。
しかしそれにも増して決定的に憎い理由は、彼氏がパリでカラスとコソットの「ノルマ」を観た
という事です。私は大のカラスファンである。カラス・キチである。
カラスのレコードはアリア集は勿論の事、インタヴューのレコード、それに全曲は椿姫以外は
全部自分のリスニング・ルームに並べ、カラスの写真 を額縁に入れて飾ってある。
この部屋に入るたんびにカラス様の御写真を伏し拝んでからレコードを聴く。
今は音質メチャメチャのカラスの全曲海賊版をせっせと買い集めているという重症のカラス偏執狂患者である。
カラスの映画「メディア」が来ると、胸踊らせて観に行き、動いている(?)カラス様の姿に
随喜の涙を流している始末。
私は在米中 ニューヨークのメトロでカラスの「ルチア」を観るチャンスがあったのだが、
友人のミスで1日違いで観のがしたのです。
その頃の私はカラスかスズメか何も知らなかったのですが、後日重症カラス狂となった私にとって何たる不運。
それを三谷は幸運にもカラスを観たという。しかも「ノルマ」ですぜ。
私が三谷氏を憎む気持をお察し下さい。
その三谷氏がドライブで合歓の郷へ来る途中、追突されて鞭打ち症になりそうだったという。
ザマーミヤガレだ。
そこで私は発言を求めて三谷氏に申しました。
あなた方は日本 のオペラ活動というと何か東京だけがその舞台であって、東京で腕の冴えを見せれば、日本のオペラファンが満足すると思っておられる様だが、我々地方に住む者にとっては、
イタオペを東京へ観に行くのでも大変な事なんです。
あなたの演出は御立派だという話だが、私は三谷さんの演出を観る為に1日診療を放棄して
(私の職業は外科の開業医なのです)東京へ行く程の価値観を今は未だ持ち合わしていない。
少なくとも大阪であなたの演出を拝見させて頂きましょうと毒づきました。
私の毒舌以外にこのシンポ ジウムでは大阪勢などから真面目な質問がありました。
てなわけでシンポジウム終り。
これではてんでシンポジウムの紹介になってませんな。カラス狂のタワ言ですわ。
ところがこんな事があってから、当の三谷氏やこの度のオペラセミナーの立役者野口政治氏と
親しくなって仕舞いました。
11月には三谷御大を筆頭に野口氏ら東京のオペキチ1 0名ばかり、
「オテロ」を観る為大挙して大阪へ出張してくるという。
我等大阪勢これ を迎え打つべく、只今極秘に防戦準備中である。


 さて今回のオペラ・セミナーのメインエベントであるオペラ・サロン・コンサート。
私はこれを聴き見る為に3日間の診療を放棄して、ここ合歓の郷に来たのです。
ここに は夢殿というちょっとしゃれた小演奏会場がある。
小さな舞台の片側に割合ゆったり座れる椅子とテーブルがあり、我々はそれに適当に着席して
コーヒーをすすりながら二期会の若手メンバーのアリアを聴くという趣向です。
愉快ですな。
イタリアはフィレンツェの王侯貴族の集うカメラータにやってきた気分です。

曲目紹介は割愛しますが、やがて日本のオペラ界に名を成すであろう
カラス(林靖子 ← 島田祐子のマチガイ)、シミオナート(秋葉京子)、
コレルリ(曽我叔人)、F.ディスカウ(久岡昇)、
ボリス・クリストフ(高橋大海)
 の 卵さん達が、次から次と歌ってくれるアリアの数々。

些かその表現は甘いとしても、我 々は彼等の将来を夢見ましょう。
司会は憎つくき三谷礼二氏。
日本のいや世界のオペラ ファンの前にやがて君臨する未来のプリマ・ドンナ、プリマ・ウォーモ達に
私は大声で ブラボー!!を叫びました。
昨日までのあかの他人を生涯の友に変えてくれたオペラ・ セミナーはこれで終わり。
そして名残りを惜しむ今夜一泊組の大阪勢に送られて、東京 勢の乗る長距離バスはあわただしく
夜更けの合歓の郷を去って行きました。



これでオペラ・セミナーは全部終了と思うでしょう。ところがさにあらずだ。
興奮さ めやらぬ大阪勢男3名、女2名。
これから部屋へ帰ってサヨナラ・パーティーをやらかす事と相成った。
ビールとおつまみを部屋へ持ち込んだ我々男性は、恭々しく2人のレディを招待して、
深更る時迄しゃべるはオペラの事ばかり。
Y下氏、大阪梅田の有名な劇場の課長さん。年令は中年と青年の中間、職業柄演出に関しては仲々うるさいワグネリアン。
C原ベートーヴェン氏は金網会社を経営して居られる。
それにカラスドクターの私。
今宵のパーティに御招待申し上げるレディーはベートーヴェンC原氏の妹さん。
クラシック一般に加えてカラス気違い。
兄さんのC原氏をここへ引っぱってきてと うとうオペキチにして仕舞った張本人。
そして阪大歯学部に在学中の歯医者さんの卵 M淵 嬢。
このお嬢さんイタオペ専門でしかも重症のカラスキチ。
私の診断によればこの人の カラスキチの症状は極度の重症で、到底全治不能である。
アルコールの入ったベートーヴェン氏とワグナー氏、それにカラス狂3人がしゃべり出したらどんな事になるか、
大方諸賢はお察しがつく筈。
音楽に無縁の人が聞いていたら、正しく精神病院の隔離病棟の一室と思うでしょう。
ホッターは素晴らしいな!というや否や ワグナー氏とカラス ・ドクター氏が歓声を上げて立ち上がり
握手しているかと思うと、カラスキチ嬢2人が 涙をこぼさんばかりにカラスを誉めたたえています。
次第にオペキチの症状を呈してきたベートーヴェン氏は「フィデリオ」の話しをきっかけに、俄然わめき出します。
この 大阪勢合歓の郷へ来る迄お互いに一面識もないのですよ。
それが帰ってからは早速お互い連絡し合って仲よくやってます。

 今回のセミナーでは、大多数を占めていた重症のオペラキチ患者は更に重症度を増して全治不能に陥り、
少数であった軽症オペラキチ患者は濃厚感染を受けて全員重症患者に移行してしまった。
その感染力の恐ろしさは驚くべきものである。

 全国のオペラキチ患者は団結せよ!
 そして度々今度の様な誠に愉快な会合を持とうではありませんか。
今回のセミナーを企画実行して呉れた野口政治氏を初めとするヤマ ハ・オペラ・メイトのスタッフの人達に脱帽。

http://www.angelfire.com/ks/kagekiha/script02.html


もうちゃ箱主人