もうちゃ箱主人の日記
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| 2010年03月18日(木) |
「円生」争奪戦 だって! |
落語協会分裂騒動は1978年のことだから、もう20年以上たつ。
あの騒動の遠因の1つが、その昔 (まだ馬楽だった時代の)彦六が、6代目三遊亭圓生襲名の際に酷評した事に、 はじまるというから 襲名騒動というのは、この業界に付きもの。 外野席としては、大歓迎、もっとやれぇ! といいたい。 (← 無責任な……(^^;))
その意味では、 三平襲名はともかく、 正蔵襲名があっけなく進んだのは 少々物足りなかったね。(笑)
//////////// 円丈と鳳楽の「円生」争奪戦 大入り満員でウハウハ 2010.03.18
客集めのイベントとしては大成功。 すべてを仕組んだ人がいるとすれば“仕掛け人冥利”に尽きることだろう。
17日夜、東京・浅草の東洋館。当日券を求める列が2時間以上前からできて、 200人の客席はもちろん補助席まで大入り。 三遊亭円丈(65)と三遊亭鳳楽(63)が高座を務めた。
演目は円丈が「居残り左平次」、鳳楽が「妾馬」。 両ネタとも、昭和の大名人・三遊亭円生が得意としたものだ。
噺の出来のよしあしによって、円生という大名跡をどちらが襲名するか決着を付けようじゃないか、 という会。 イベント名がまたイージーで素晴らしい。「円生争奪戦」。あくまでしゃれだった。
開口一番を務めた三遊亭きつつきが 「落語はみんなしゃれです。“隣の空き地に囲いができたってねぇ、へぇ”もしゃれだし、 “円生争奪戦をするんだってね、へぇ”もしゃれです」と露払いをした。
これを一部の新聞やテレビ局は「伝説の落語家…円生“泥沼襲名騒動”」などと、しゃれの片棒を 真顔で担いでしまった。
「当初、円丈さんは真剣だったようですが、内心ではしゃれだという風に方向転換していますよ」 と同業者。 〔中略〕
それぞれに言い分はあり、筋はある。円丈師には円丈師の、鳳楽師には鳳楽師の言い分があり、 それは交差しない。 どちらかが折れなければ、永遠の平行線。 解決できるのは、当事者だけである。 客が決定の過程に影響を及ぼすことはない。決定したことを受け入れるか、いやならひいきを よせばいいだけのこと。
本来的に見れば、円生という名前をしゃれの道具にしてはいけない。 その名のもとで、決して少なくない落語家が人生の変更や修正を余儀なくされ、傷ついたのだから。 自ら死を選んだ芸人もいる。
「人の生き死にかかわった名跡は、もっと重々しく扱わないといけない」と 眉をひそめる演芸関係者もいる。
鳳楽師の襲名を口にした先代円楽は、あちらこちらに根回しをしていたふしがある。だが、完ぺきな 根回しは、晩年の体力には酷だった。最後に詰め残した分が、噴き出している。
もし、古今亭一門が「志ん生争奪」や「志ん朝争奪」を繰り広げたら、落語ファンは冷ややかに みるだろう。没して30年以上が過ぎた名跡だからこそ、しゃれの争奪落語会が商売になった。
イベントとしては、いい試みだった。 それとは別に、襲名は粛々と。そして決定のあかつきには、一同ご陽気に。 (演芸コラムニスト 渡邉寧久)
■円生争奪“騒動” 昨年10月に死去した五代目三遊亭円楽が晩年、 「一番弟子の鳳楽に七代目円生を、楽太郎にあたしの名を継がせる」と発言。 これに円楽の弟弟子、円窓が反発。 さらにもうひとりの弟弟子、円丈が円楽の没後、「直弟子を飛ばして“孫”が継ぐのは筋違い」 として、鳳楽に“争奪戦”の挑戦状を叩き付けていた。
一方、円生の没後、夫人は「誰にも継がせない」という“止め名”の文書を作成し、 五代目円楽を含む関係者5人が署名していた http://www.zakzak.co.jp/entertainment/ent-news/news/20100318/enn1003181620016-n2.htm --
もうちゃ箱主人
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