もうちゃ箱主人の日記
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高校生の頃、 ビートルズと ハワイアン音楽が、好きだった。
やがて ハワイアンには飽きてしまったが… (やはり、カントリー音楽の亜流だったのだろう)
今日の記事に 懐かしい名前を発見した。 訃報というのが悲しいが…
日野てる子は、ほぼ同年代といってよいと思う。 ハワイアン歌手としてデビューした時は 名前のような、まぶしい存在だった。 (なにしろ、それまでのハワイアン歌手といったら みなオバサンだったから… (^^;))
歌のうまい歌手で ハワイアンを超えていた。 才能が、ハワイアンには収まりきれなかったのだろうし 日本では、それを受け入れる土壌がまだなかったことが 惜しまれる。 一時、フュージョンに挑戦していたが 中途半端だった。 思い切って、本格的なジャズに転身していたらとも 思うが、声がよすぎたか。
いろいろ歌謡曲を歌わされていたのは論外だが (気の毒に、ご当地ソングなんてのもあった) 結局ハワイアンに戻った。
それが、よかったのかどうか ファンと本人とは違うが 本人は晩年まで喜んでハワイアンを歌っていたというから よしとするべきか。
いろいろ思い出にふけった。… (^^;)
@ここで歌声が聴けます。
http://www.geocities.co.jp/Technopolis-Mars/7088/106hinoteruko.html
**** @ 最も詳しかった記事から
「ハワイアンの女王」日野てる子さん逝く
「夏の日の想い出」などのヒット曲でハワイアンの女王として 一世風びした日野てる子(本名・一ノ瀬照子)さんが 9日午後11時35分、肺がんのため都内の病院で死去した。63歳。 愛媛県出身。 5年前にがんの告知を受けたが、最期まで愛くるしい笑みを絶やすことが なかった。本人の遺志により、すでに密葬を済ませた。 後日、「偲ぶ会」が行われる。
南の島に咲く花のような輝く笑顔を残し日野さんが帰らぬ人となった。 入院中に容体が急変したのは今月9日。 関係者によると、長女・トニカさん、長男・響さんら 家族にみとられて眠るように息を引き取ったという。
最初にがんが発見されたのは、03年12月25日。 風邪に似た症状があり、都内の病院で念のために精密検査を受けた。 医師からの言葉は、「肺がんです」。 たばこを吸わない日野さんにとっては、全く考えてもいないことだった。 入院。 そして、翌年1月には、転院先で脳に5カ所転移していることを 告げられた。摘出手術を受け、一時は快方に向かったが、 昨年、再びがんが見つかり入退院を繰り返していた。
苦しい闘病生活を支えたのは、夫で作編曲家の一ノ瀬義孝さん、 2人の子供たち、そして、大好きな音楽だった。 親しい関係者は「がんの告知を受けたあとも、以前と全然変わることが なく、いつも優しい笑顔でした。歌い手としてはもちろん、 妻として母親としても素晴らしい女性でした。 まだ若いのに本当に残念でなりません」と話した。
日野さんは、1965年からNHK紅白歌合戦に3年連続で出場。 人気絶頂だった69年に24歳で、番組で知り合った一ノ瀬さんと結婚。 周囲には惜しむ声もあったが、芸能界から退いた。 2人の子供たちも成長し、同じ音楽の道へ進むことになって 歌手活動を再開。 最後のステージは、昨年12月23日、都内のホテルで行われた クリスマスディナーショーだった。 関係者によると、いまでも熱烈なファンから 「日野さんの歌が聴きたい。コンサートはいつやるんですか」との 問い合わせが寄せられているという。
[ 2008年09月18日http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2008/09/18/16.html
もうちゃ箱主人
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