もうちゃ箱主人の日記
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* たまには、今 おべんきょう中のところを…
セシリア運動の指導者 ヴィットは モーツァルトの教会音楽についての見解の多くを 尊敬するオットー・ヤーンの有名な著書《モーツァルト伝》に 依っていることを、自ら公言してきた。
今日は、ヴィットの文章の一節から…
In diser Abhandlung ist oft Otto Jahns classische Mozart-Biographie citirt, ja fast ausschliesslich verwerthet, weil ich seine Resultate beim Vergleiche mit den Messen unanfectbar, fand.
試訳大意:[私の]この論文は、多くをオットー・ヤーンの古典的な モーツァルト伝記に負っている、というより、もっぱらそれを 使わせてもらっているといってもいい。 というのも、私[ヴィット]は、ミサ曲の[論述の]比較を通して、 彼の結論の正しさを知ったからだ。
Es ist sehr selten, ja einzig in der musikalischen Literatur, daß ein Philologe ersten Ranges zugleich ein so tüchtiger Musiker und Geschitsforscher ist, wie O. Jahn ---daher der bisher von keinem ähnlichen Werk erreichte Werth seiner Arbeit über Mozart.
(意訳) ヤーンのように、第1級の文献学者で、同時に有能な音楽家で 音楽学の研究者による[著作は]非常に稀だし それは、音楽文献としては唯一のものだ。 モーツァルトについてその研究の価値まで到達した似たような著作は、 これまでなかった。
(直訳:それ[ヤーンのモーツァルト伝]は、音楽文献としては 唯一の、非常に稀なものだ。 ヤーンのように、第1級の文献学者で、同時に有能な音楽家で 音楽学の研究者である モーツァルトについてその研究の価値まで到達した似たような著作は、 これまでなかった)
Auf das liturgische Moment oder die liturgische Behandlung des Text hat O. Jahn, wie schon gesagt, keine Rücksicht genommen.
既に述べたように、 ヤーンはテクストの典礼的な観点や、典礼的な取り扱いには、 配慮を払わなかった。
Letztere ist öfter zu Gunsten der müsikalischen Arbeit geopfert.
後者の点では、かなりしばしば、その音楽的著作の長所が、 犠牲になっている。 (Lickleder p.222)
* たったこれだけの文章でも 結構ひっかかる点が多い。 時間もないので、上記は大意と考えてください。 したがって、引用、転載はおことわりします … (^^;)
(疑問箇所: citirtという単語は辞書にのっていないので、前後の脈絡から 「負っている」と推定した。 このEsを、仮主語と取るか、「ヤーンのモーツァルト伝」と 取るか、とりあえず後者と考えた。 Geschitsforscherも、その分野の研究者つまり、音楽学の研究者と 推定した。(この時代、音楽学の概念はまだなかった) このLetztereを、どう訳すかで意味が変わる。仮訳と考えて下さい。 後半部分は、プロテスタントのヤーンとカトリックの司祭である ヴィットとの宗教観の違いを示唆しているように思うのだが)
もうちゃ箱主人
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