もうちゃ箱主人の日記
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2008年08月19日(火) ゲオン再読

一時は、あんなに熱読していたのに
いつかにソッポを向いてしまったもの。

その1つが、アンリ・ゲオンの
『モーツァルトとの散歩』


実は、初めて論文らしきものを書いた際
もちろん勇んで(笑)、引用したのだが…

ある方から頂いたご意見に
 「ゲオンはしょせん素人。
 学術論文に引用すべきでないし
 そういったものを引用している論文は、素人っぽくみえる」
とあり、これで急に熱が冷めた…
  という次第。

思い上がっていたのかねぇ。
 我ながら情けない… (^^;)



最近ふと気づいて再読してみたところ
結構 これが胸に響くのですね。

例えば、
《戴冠式ミサ》のアニュス・デイが後に
《フィガロの結婚》の伯爵夫人のアリアに転用された件は
セシリア運動がモーツァルトを批判する大きな要因になっているのだが
これについて
いろんな論客が反論した際の
ゲオンの要旨。

 フィガロで<アニュス・デイ>のテーマが歌われても
 「さして驚くにはあたらない」 
 なぜなら、それは「心にしみ入る、優雅な曲」で、
 人間は心の感動を表現するのには、
 「ひとつの声、ひとつの言葉しか自由にならない」
 から。


たしかに
実証を重んじる学術論文の中では
「浮いてしまう」言い方だが
それは、私自身の論文での取り上げ方が未熟だったせい
と思えてきた。


ほんの気まぐれや思い上がりから
宝を見失ってしまうことも多い。
きっとほかにもあるだろう…
 心せねばと思う。
(そうそう、シュワルツコップもちゃんと聴き直しせねば…)


もうちゃ箱主人