もうちゃ箱主人の日記
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一時は、あんなに熱読していたのに いつかにソッポを向いてしまったもの。
その1つが、アンリ・ゲオンの 『モーツァルトとの散歩』
実は、初めて論文らしきものを書いた際 もちろん勇んで(笑)、引用したのだが…
ある方から頂いたご意見に 「ゲオンはしょせん素人。 学術論文に引用すべきでないし そういったものを引用している論文は、素人っぽくみえる」 とあり、これで急に熱が冷めた… という次第。
思い上がっていたのかねぇ。 我ながら情けない… (^^;)
で 最近ふと気づいて再読してみたところ 結構 これが胸に響くのですね。
例えば、 《戴冠式ミサ》のアニュス・デイが後に 《フィガロの結婚》の伯爵夫人のアリアに転用された件は セシリア運動がモーツァルトを批判する大きな要因になっているのだが これについて いろんな論客が反論した際の ゲオンの要旨。
フィガロで<アニュス・デイ>のテーマが歌われても 「さして驚くにはあたらない」 なぜなら、それは「心にしみ入る、優雅な曲」で、 人間は心の感動を表現するのには、 「ひとつの声、ひとつの言葉しか自由にならない」 から。
たしかに 実証を重んじる学術論文の中では 「浮いてしまう」言い方だが それは、私自身の論文での取り上げ方が未熟だったせい と思えてきた。
ほんの気まぐれや思い上がりから 宝を見失ってしまうことも多い。 きっとほかにもあるだろう… 心せねばと思う。 (そうそう、シュワルツコップもちゃんと聴き直しせねば…)
もうちゃ箱主人
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