もうちゃ箱主人の日記
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| 2008年08月14日(木) |
バッハはなぜあれほど多くの教会カンタータを書いたのかというと… |
たまには、バッハのことも…
バッハはライプチッヒのトマス・カントルに就任した後 特に1723年からの2年間、 中断していたカンタータ作曲に精力的に取り組む。
『故人略伝』によれば バッハは、5年分の約300曲のカンタータを作曲したといわれるが (現存するのは、約200曲) その大半は、このライプチッヒ時代に作られた。
ところが 3年目を迎えると、突然作品数が減少する。
バッハが、この時期なぜこれほど多くの教会カンタータを書いたのか と なぜ、それが急に終息したのか について これまでバッハ研究者たちは、 当初は 毎週の礼拝に新作カンタータを提供する必要に迫られたこと。 教会暦2年分のカンタータを作り終えた後 市当局との不和も表面化したことから 以降は、旧作の反復使用で賄ったため、と 説明してきた。
これに関して バッハ研究者の三宅先生は ユニークな仮説を述べておられる。
先生は バッハが生涯オペラを作曲しなかった点に着目して それは、機会に恵まれなかっただけで そのジャンルを無視していたわけではなく むしろ オペラ座音楽監督への転身を視野に入れていた 可能性もあるとしている。 その際には 「すでに書きためておいたカンタータから、 レチタティーボとアリアを選び出して歌詞をさしかえ 新作オペラを次々に発表したことだろう。」 つまり 「バッハがあれほど教会カンタータを多数書いた裏には オペラを作曲する準備の意味もあったと考えられるのである」 とする。
しかし 「バッハがオペラを書く機会が訪れなかったから」 この仮説を立証するすべはない、と結論している。
この見解は 極めて興味深い。 果たして 資料研究の専門家である我が師が どうお考えになるのか うかがってみたいところである。
(出典: 三宅幸夫『スフィンクスの嘆き』五柳書院、1992年。142−3頁)
もうちゃ箱主人
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