もうちゃ箱主人の日記
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2008年07月14日(月) ミンコフスキーのト短調交響曲




久々に、40番のト短調交響曲の最近の録音CDを聴いた。
(年かねぇ、新しい録音に手をのばすのが億劫になってきた… (^^;))

40番の交響曲は、私にとって大事な曲なので
あだやおろそかに、聴けない。(笑)

 石鹸で手を洗って…
 トイレを済ませて…
 ハナをかんで…
 歯を磨いて…
 途中でノドが乾くと困るので、お茶を1杯飲んで…
 スコアをポケットスコアにするか、NMAにするか迷って…
 照明をどれを付けるか、迷って…
 CDプレーヤーをLD機かDVD機にするか迷って…
 暑くなったので、エアコンのスイッチを入れるかどうか迷って…
 スピーカーをクォードにするかタンノイにするか迷って…
  まだまだ、いろいろ迷うことがあって…

なんてことを、しながら、
聴き始めるので億劫になる。… (^^;)
 だもんで、年に数回しか聴かない、聴けない。(笑)
 (昔、初めて買ったこの曲のLPは、バーンスタイン/NP
    やっぱり、素直じゃないね)


なんだか、CDについて
書き出す前に、もう疲れてきたが… (^^;)
 
マルク・ミンコフスキ指揮、
レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(ルーブル宮音楽隊)演奏の
モーツァルト交響曲集で
交響曲第40番ト短調と第41番ハ長調「ジュピター」、
そして歌劇「イドメネオ」のためのバレエ音楽が収められている。

ミンコフスキ初のモーツァルト交響曲集ということで、
国内盤は昨年7月の新譜。
(Amazonをみたら、もうカタログにないようだ。
  売れ行きがよくて、完売ということなのか、
  販売不振でのカタログ落ちということか???)

ミンコフスキのモーツァルトといえば
92年だったかのザルツブルク音楽祭での《後宮からの誘拐》
翌年、BS2で観たが、衝撃的だった。
新時代のモーツァルト、そういう感じで受け取った。
(日本では、オーチャードで《フィガロの結婚》をやったね)

あの時は、ホールに飯中さんがいた…はず。
あの時の演奏といえば、……  
  長くなりそうなのでカット!!



…やっと、このCDの演奏について書ける。(笑)

もちろん、このCDは、古楽器による演奏。
40番は、2楽章に引きつけられた。
旋律線が埋もれることなく
はっきり聴き取れ、とても気持ちがいい。
こういうのを聴くと、もう大編成オケの演奏には戻れない。
 (…気がする。まあ、あれはあれでいいんだが… (^^;))

メヌエットも軽やかなリズムがいい。

若手の40番では、数年前オーケストラ・シンポシオンや
生誕250年の年には、ハーディングの生を聴いたが
どちらも、これぞ古楽器、現代風演奏と肩肘はって
 「よらば、斬るぞ!」 いう感じの
  「濃〜い」演奏だった。

 (ハーディングは、現代楽器使用のマーラーCO)

それに比べれば、このCDの演奏は
肩の力が抜けていて、快い。

その脱力感たるや
名前を伏せて、
例えばラジカセなどで聴かせると
そこらのアマ・オケの演奏みたいに聴こえるような
ところも、あるかもしれない。 (失礼!)

でも、それは違うのであって (キッパリ!)
むしろ、古楽器演奏が、新しいシーンに入ったというべき
ではないのだろうか。

軽々にはいえないが、そんな気がした。
(ジュピターは、また違う趣があるが
  それはまたの機会に…)


吉田秀和先生が、昨年のレコ芸に
書いておられた一部をご紹介すると…

私はまた、つい数日前、ルーブル宮音楽隊を率いて
 マルク・ミンコフスキーが入れたモーツアルトの交響曲
 40番、41番のCDを聴いた。この演奏の新鮮さ!!

 ・・・・・テンポは総じて速めだが、音の一つ一つが踊るように
 生き生きと飛びかう。この連中の演奏だから、言うまでもなく
 ピリオド楽器〉によるものなので、当然モダン楽器に比べて柔らかな
 タッチの音を出す。特に弦がそうだ。
 そうしてそれに対し、管−特に木管は、この種の楽団の演奏には
 珍しいほど、眩しいくらい目ざましい響きでもって駆けめぐる。
 それに金管と打楽器が加わる。

 その全く新しい音の組み合わせに、私も初めは訝ったのだが、
 解説で片桐卓也さんがはっきり指摘しておられる通り、
 このCDの演奏では楽器の配置が変わっているのである。
 片桐さんの言葉を引用すれば、
 「第1、第2ヴァイオリンは想像どおりとして、木管楽器が
 ヴィオラやチェロの前、つまりヴァイオリンと並ぶように最前列に
 来ている。バスーンの後ろにチェロがいる。コントラバスは一番奥。
     《中略》
 しかし、私達がモーツアルトの40番や「ジュピター」を
 こういう音楽、つまり眩しいくらい新鮮で躍動的な音の流れ、飛翔として きけるのは、ミンコフスキーの解釈の「野人的」創造性と、
 それを音楽として実現するミュージシャンの活躍によるものなのである。
    《後略》


もうちゃ箱主人