もうちゃ箱主人の日記
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2007年06月18日(月) …多くを語りたくない…

たまには、ニシワキ詩を読みませう。


考える故に存在はなくなる
人間の存在は死後にあるのだ
人間でなくなる時に最大な存在
に合流するのだ私はいま
あまり多くを語りたくない
ただ罌粟の家の人々と
形而上学的神話をやつている人々と
ワサビののびる落合でお湯にはいるだけだ
アンドロメダのことを私はひそかに思う
向うの家ではたおやめが横になり
女同士で碁をうつている
ふところから手を出して考えている
われわれ哲学者はこわれた水車の前で
ツツジとアヤメをもって記念の
写真をうつして又お湯にはいり
   《後略》

  〜西脇順三郎「近代の寓話」より


 「多くを語りたくない」と言ってるわりには
 ずいぶん語っているようだが (笑)
  (このあとも延々と続く…)
 形而上学的な 「人間の存在 云々」と
 「お湯にはいる」ことが同じ次元で語られる。
 まさにシュールレアリスムでいうデペイズマンの
 ようだ。
 普通、男性がするイメージの強い碁を
 女性が、それも横になって打つ
 どこか、エロティックな感じが漂う
 これもニシワキ・ワールドである。


もうちゃ箱主人