もうちゃ箱主人の日記
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今年もまたイースター(復活祭)が、やってくる。 クリスチャンではないが、この季節になると《マタイ受難曲》を 聴きたくなる。 (暮れの大工、じゃなかった、第九みたいに…)
コドモの頃、近くのバプティスト教会に通っていた。 毎年クリスマス時期になると、にわか信者がやってきて 騒々しくなるので、嫌気がさしてしばらく行かなくなり、 イースターになってまた戻るという繰り返しだった。 (当時から、天邪鬼!(笑))
さて、i教授によると ライプツィヒの最も熱心なバッハ・ファンでも《マタイ受難曲》は 一生に四回しか聴いていない、とのこと。 (だって、バッハの生前四回しか演奏されなかったのだから) 事情変わって、所変わって 現代の東京では、年にいくつの《マタイ》が演奏されるのだろう。 (私なんて、2000年のバッハ年には、四回聴いちゃった。^o^)
ここで言いたいのは、年に1回聴けばいい、 という種類の音楽もあるのではないか、 ということ。
モーツァルトなら、何といっても《レクイエム》である。 聴き方は様々だから、人様がどう聴こうと勝手だが 私には、これを1年中、聴くという気にはなれない。 年に1回というほどではないが 大事に聴きたいと思う。
同様なのが、40番のト短調交響曲である。 神棚に祭り上げるわけではないが、 この曲も私にとって特別なもので、 めったやたらに聴きたくない。 (着メロなんてもってのほか! (笑))
思えば 昨年のモーツァルト・イヤーに いったいどれほどの 《レクイエム》や、《ト短調交響曲》が演奏されたことだろう。
悪い事に、 《ト短調交響曲》は、テインパニがない上、管楽器も最小という 簡便な編成のために、アマ・オケで演奏される回数が多い。 「あの曲だったら、ウチのオケでも、演奏できる!」 いきおい、ただ弾いてるだけという「安易な」演奏が多い、 のも事実だ。 それでいいのだろうか?
《レクイエム》を「モツレク」と呼び捨てて (私も時にそうだが… (^^;)) この曲ならいつだって練習なしで歌える、と豪語する人を 現実に見聞きした。 それでいいのだろうか?
故・石丸さんのエッセイにあったが かっては、アマチュア・オケのやりたがる曲の上位に、 「未完成交響曲」があったとかで 日本全国、週末になると、未完成な「未完成交響曲」が響いていた 〜そうである。
同じように、未完成な「40番」が、昨年アチコチのホールで 鳴り響いたのだろうか。
寂しい記念年総括だが 幾ばくかは、事実と思う。 決して、アマチュアの演奏をくさすわけではないが それでいいのだろうか?
これもモーツァルトを消費することでは ないのだろうか?
真摯な気持で 向かいあってほしいと願うのは、 演奏しない、できないものの ひがみなのだろうか。
心のくら〜くなるお話で、すみません。… (^^;)
//////// 夕方から T朋学園の音楽史研究会に行きました。
もうちゃ箱主人
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