あるみさんのにっきをめざせ

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あるみさんのにっきを目指せ

//Last modified 21/02/14


 くるまこちゃん と おれさまちゃん のこと

2008年08月11日(月) 


  ということで、自転車で堂々と通勤しました。
  職場の人たちの「ぎゃー」「なんでー」「二十歳の私でもしませんー」「なにも37度ある日にやらなくても!」「普通タクシー使うとか! レンタカー借りるとか!」(←休むと言う選択肢はないんですね…)という暖かな言葉に守られての出勤です。やほーい。微妙に楽しいリアクションが嬉しいところです。
  くるまは、馴染みの修理屋さんに「2万円以下で治るだけ。それで治らなければもう放置の方向で」とお願いしてあります。
  この修理屋さんは、昭和的な、大雑把な直し方が非常にツボなので結構お世話になっています。なにしろ、前の車がこすったとき、直すのにマッキーでぐりぐり塗って
  「お代は要らないよ!」
  うん。中古車として売ろうとする車なら価値は大暴落の処置が多いのですが、そうでないなら、迅速です。なにしろ、マッキー(黒)で平気。というか、修理セットにマッキーが入っている度胸がすごい。
  
  そう、前の車は黒かったのです。
  名前は「くるまこちゃん」
  LASER、展示車出身でした。
  展示車だけあって、当時まだ私も持っていなかったCDオートチェンジャーがついており、CDを聞くときは車にいそいそと乗り込むくらい愛してました。
  さすがファミリアのスポーツタイプとして開発されただけあって、加速が尋常でないほどよく、普通に乗っていてもすいすい進むその姿は今でも「おれさまちゃん」(今乗っている車。golfカブリオレ。子どもが出来てワゴンに乗り換える兄から譲り受け)よりも愛しているのです。
  ただ、壊れ方が愉快でした。
  やはり長く乗っていると電気系統から壊れるのはお約束のようで、まず、エアコンが壊れました。
  それは団扇と毛布で対応です。
  ただ、夏場、くるまこちゃんに乗せていた団扇が名古屋の熱さで骨がぐにぐにに柔らかくなり、不思議な形に変形していたときはさすがに恐怖を覚えました。名古屋に。

  次に窓の開閉が出来なくなりました。
  正確には途中まで開けることは出来るので、後は手で押し込めたり、引っぱり上げたりです。力がいるので、基本、走行中は出来ません。
  前述の通り、エアコンが壊れていたので夏場は窓全開です。夕立が来ると悪夢でした。冬は、駐車場の出入り口では窓よりドアを開けてチケットをとる方法を選んでました。
  でも、気にしませんでした。
  
  が、一度、とても気になる壊れ方をしたのが
  「突然、クラクションが鳴り響き、何をしても止まらない」
  ときでした。
  しかも、通勤中。
  当時、私は、市を縦断し、さらに市外まで通勤するコースでした。
  郊外へのルートなので渋滞には巻き込まれないのですが、「ぷぉーん。ぷぉーん」と大音響をかましながら走る車は大迷惑以外の何者でもありません。
  沿線のマンションの窓は開き、家から人は出てきて、信号で停車する度に前後の車の運転手さんは降りてきます。
  最初煽られているのかと思った彼らは、運転席で泣きそうな私に気がつくと、
  「ここんなの、ここを直せば……」
  となにやら線を繋いだり試みてくれるのですが、何をしても
  「ぶぉーん。ぶぉーん」
  止まりません
  手に負えないとみると、やおら「あ、信号が青っ」と誰も彼も自分の車に戻りやがりました。見捨てられた気持ちで一杯です。
  当時、携帯も持っていなかったうえに、パニックに陥っていた私はここでも休むと言う選択肢を思いつけず大音響の車で遅刻しつつ通勤しきったのでした。大迷惑。
  そして、ほうほうの体で着いた私に課長の叱責……。
  「すみません。理由はクラクションが止まらないのです」
  「そんなこと、あるわけがないだろう! あったとしてもすぐに直る!」
  確認のため、駐車場に消えた課長はすぐに戻ってきました。
  「土井君は、帰れ。車が直るまで来なくていい」
  エンジンを切っても鳴り続けると言う怪奇現象を前に、帰宅命令。……そして今度は渋滞の中、ぱおーんぱおーんと帰らされたのです。
  詳細は恐怖の余り忘れてしまいましたが、今思い出してもいろいろと凍る思い出です。
  もちろん、前述の修理屋にくるまこちゃんを放り込んで逃げるように帰宅しようとして、やはり嫌がられました。まぁ修理屋さん、住宅街のど真ん中ですし。
  それでも根性でくるまこちゃんを押し付け、結果、部品の取り寄せって数時間で出来るんだーと学んだ日でもありました。いつもは二三日はかかるのに。
  
  それに比べたら、最徐行にするとエンジンが止まる芸で私をお迎えしてくれたおれさまちゃんは、芸が単調でした。突然バーストしたり、エンジンから愉快な音がしたり、どれも命に関わる芸でしたが。
  とりあえず頑丈と言うドイツ車特有のおかげで「国産車なら全損」と太鼓判を押された事故からも無事に復活し、今日と言う日まで連れ添ってくれました。感謝です。なによりも、椅子が大好きでした。ヒーターが仕込んであるので、暖房を付けなくても冬ほかほか。
  唯一の残念ポイントはカブリオレなのに、一度もオープンカーにしたことがないと言う抜本的に勿体ない仕打ちです。……だって、花粉も直射日光も紫外線も枯れ葉も歓迎出来なかったんですもの。

  そしてまだ来ない三台目は、たぶん、ポルテです。
  今度はどんな壊れ方で私を悩ませてくれるのでしょうか。
  なるべく、なるべく壊れないほうがいいのですが。


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