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2005年07月01日(金) 読書について・・・

杏珠先生、こんにちは。
久し振りにメールしてみたくなりました。

先日、宝箱で投稿された方に対して読書をしなさいと言われていたことと、ダイアリーでの法句経についてのお話を読んで、
読書の大切さを気付かせて頂きました。

結婚前の数ヶ月間は忙しかったので、
読書欲がありながらもなかなか時間がとれずに、
結婚後にやっと読書ができるようになりました。
それでも、優秀なお子さんが月に50冊以上も読まれている数には
程遠いですが・・。

子供時代は注意力散漫のため落ち着いて読書するということが苦手でした。読み始めてもだんだん苦痛になってくるのでした。
それが20歳ぐらいから読書が面白いと思うようになり、
現在に至っています。
子供時代からもっと読書の楽しみ気付いていたら、
文章力や表現力も身に付いていたのに・・、と後悔です。

今、瀬戸内者寂聴さんの法句経に関するエッセイを読んでいます。
法句経の一部を紹介しながらもっとわかりやすく解説されている本で、
本格的な法句経の本ではないですが、
俗世界に埋没している私には感覚で理解するのはなかなか難しいです。

真理というのは生きている間は理解できないのではないか・・
とさえ思います。
理解できず迷いながら生きている、これもまた修行なのでしょうか?
例えば、恨みを持つなとか、善いことはいそいで行えとかは
まだわかります。
「私のものは何もない」「私さえも私のものではない」という言葉は、
日常生活において実感するのは難しいです・・。

私は出家という道を選択することはないですし、
この俗世界で自分の器の範囲で生きていき、
この世を去るまでに器を少しずつ大きくしていくことが
必要なのかとも思います。
(省略)
読書や人生経験を通して、
ほんの些細な自分の感情や感覚にも目をそらさず思案しながら
一つ一つ解決していけるように励んでいきます。

踊りの発表会や新婚旅行が目前にあり少し落ち着かないですが、
杏珠先生も梅雨で湿気の多い季節ですが、
どうかお元気でお過ごしください。
                (一部省略)
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メールを拝見いたしました。

法句経をお読みになっているということ・・・
とても嬉しく思います。

仏教本というものは、さらっと読んだだけで頭に入ってくるものではなく、『考える』と言う事が大切だと思います。

今はその意味が実感として湧く事が難しい内容や言葉も、
自分の状況や環境が変化をすることによって、
後々で「こういう意味だったのか」と納得する事が多いでしょう。

例えば、自分の子供が誕生したとき・・・
そして、自分の大切な人がこの世を去ったとき・・・

 ”自分の身体や家族でさえ思うようにはならない”
様々な経験をしたときに心に染み入るのがお釈迦様の言葉なのです。

何一つとして自分の『もの』では無い・・・
そこに執着をしたままでいれば、
愛さえも苦しみを生むものとなる。

これは字を読むだけではなかなか理解することは難しいものです。
                    (全文掲載)

        杏珠


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