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2008年01月23日(水) やるせない気持ち

ヒースの訃報に愕然とした朝のスタートでした。

泣き崩れて号泣するとか、そういうのではないのですが、何でしょうか、なんだか軽く脱力してしまってむしょうに切なくて、切なくて、記事を読みながら胸が張り裂けそうでした。今も胸の奥が痛いというか、どきどきしています。こんな静かな苦しい悲しみというものも生きていれば何回か味わうものなのですね。
確かに、悲しいかな、人生を長く生きれば生きるほど、人の死には慣れっこになってくるはずですが、それでもやはり、その死を受け入れたくない、そういう対象が、身内だけでなく、しかも直接会ったことも話したことも無い相手であっても、感じるものであるというのを、実感してしまいます。
会ったことも話したことも無い相手なので、喪失感が号泣に繋がるとかはないのですが、心の奥にある澱のような苦い感情は、たぶん果てしない喪失感です、その才能に期待していたからこその喪失感だと思います。

新聞をとっていないので、いつもは仕事のメールを確認して急ぎ分を処理して一段落したら、お茶をすすりながらYahooでニュースを観ることが多いのですが、今日は急ぎのメールが立て込んでいたので、ネットを見に行ったのがすこし遅めでした。
そんなこんなで彼の訃報スレッドを目にしたときは、思わず持っていたマグカップを落としそうになりました。
ヒース・レジャー
その名前を何度も何度も見て、本当にあのヒースなのか確認してしまいました。
ヒースが好きだという事実は、森川さんが吹き替えを担当することが多いというのも多分にあったのかもしれませんが、それ以上に、いろいろな作品で彼のパフォーマンスが心に響いていたみたいです。
役者さんとかミュージシャンの中でも、その人の作品やパフォーマンス(演技や演奏や歌あるいは曲や詩)を通して、多少なりともその人の内側の繊細な部分に触れられたと感じる瞬間がある、そういう風に思えるパフォーマンスに接することが出来た相手に対して、私は、なにか親族とはまた違った意味での心の親近感を感じてしまうのだと思います。
そういう、チラリズムで接してしまった内面的な部分を、直感的に好きだと思ってしまう感情が、思い入れにつながり、赤の他人でしかも会ったことも話したことも無い相手であっても、自分の心の中でとても大切な存在になっているんだなぁと実感します。
そんな相手の訃報に接することが、本当に堪らなく辛いのです。
なんとも言えないやるせない気持ち、これから先どれだけの、それこそめくるめく素晴らしいパフォーマンスに接する機会があったかも知れないのに、それがすべて失われてしまったという喪失感です。

今日は地の底まで落ち込みました、というか自分がこんなにヒースを気に入っていたんだという事実も驚きでした。
いい役者さんでしたね。演技を通してすんなりと感情移入できる素晴らしい俳優さんの一人でした。
本当に繊細で大胆な、ある意味、もう一人愛して止まない日本の声優さんと、同じ目の光を持った、同じ匂いのする演技の傾向を持った役者さんでした。
本当に惜しいです。
どうして、誰も彼をこの世に繋ぎ止めてあげられなかったのか、それを思うと、歯がゆいというか悔しい気持ちです。だれか彼を心底愛してあげて、彼も生きる目的にできる、そんな相手が居れば彼はこんなに早く旅立ちはしなかったのに・・・
きっと本国には熱心なファンの方々も居ることでしょう、彼らの嘆きが聞こえてくるようです。
所詮、どんな場合でも、ファン程度では、こういう繊細でナイーブな人をこの世につなぎとめておくことは出来ないんですね、過去に自滅した多くのミュージシャンや役者さんがそうでした。
なんだか寂しくて無力で切ない気持ちです。
(って、ヒースには自分はなにもしたことは無いですが・・・)。
合掌。

今日は落ち込んだ気持ちを上手くサルベージできない感じ、アルコールアレルギーになってしまったので、ヤケ酒も飲めなくて辛いなぁ。


まいける2004 |簡易メールシルバーナの船室(コラム)

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