せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年06月16日(金) 「爆弾少女」のこと

先日は週半ばにも拘らず元同僚と呑みに行ったのだが、すっかり呑み過ぎてしまって翌日は使い物にならなかった。

そもそもワタシたちは空腹のうちに輸入物の麦酒をニ三杯入れてしまったので、既に出来上がっている訳だが、そこから下町の呑み屋へハシゴする道すがらに一軒寄って彼女が好きだと言うカクテルを一杯引っ掛け、目指す「西班牙呑み屋」で散々飲食いして、それからカラオケに行こうというので十何年振りだかでカラオケ屋にも行って、文字が良く読めず、と言うか多分読む気がハナから無く、更に口も非協力的だった所為で、滅茶苦茶な歌いっぷりで時間を過ごした。あれは日本だったら許されないと思うのだが、何しろ選曲の為の日本語の「本」に字がこちょこちょと沢山詰まっていて良く読めなかったし、だから偶々見えた同じ歌手のところから適当に番号を押して行くのが精一杯だったのである。

またしても「アルカセルツァー」の世話になった翌日の惨状については省くが、ワタシはその夜が楽しかったという事より、寧ろ気になっている事がある。

この元同僚・友人はワタシより少し若い女性なのだが、彼女は今後余所の土地へ越して行って更なるキャリアアップを目指す事になっている。大変有能な人である。

しかし彼女は、その自信の所為か、はたまた本当は自信が無いからなのか、割と辛らつな物言いをする。それで折角の楽しみが半減してしまう、という事が良くあるのである。

以前から、彼女は酒が入ると随分はっきりとものを言って他人を手厳しくやっつけたりしているという事には、気付いていた。相手はワタシなんかよりも年長の経験豊富な人々だったりするのだが、若い彼女はお構い無しで批判やら注意やらをしている。

それが合っているのならまぁ大目に見ようとも思うけれども、彼女の言い分も偏っている事が多いので、只の「生意気な小娘」に見えてしまうのが残念である。あれでは人生損するだろうな、といつも思う。

それを一言言ってやるのが良いのか、はたまたワタシより以前から彼女と知り合いの人々が何も言わないでいるところを見ると、若者は放っておけばいつか学んで行くから良いのかも、とも思い、迷っている。



彼女を交えて呑む際、ワタシはよく、呑む前の段階で彼女が周囲の人々に精一杯気を使って、言葉を選んで会話をしているのに気が付く。だから恐らく、彼女自身も自分が「調子に乗り易い」事を理解しているのだと思う。

ちなみにそんな彼女は、「射手座」である。鼻っ柱が強い事で知られた星座でもある。

それも暫くして酒が回って来ると、そんな気遣いは何処かへ行ってしまう。誰かが気弱な事を言ったりすると、「それは間違っていると思う!」とか「**さん、そんな事じゃダメですよ!この世界でやっていけませんよ!」などのような言いっぷりが始まる。

この間同僚ら数人で呑んだ時にも、ある日本で所謂「オフィスレイディ」の経験が長い人が、例えば会社での世間話に付いていけないと困るので、夜遅く帰ってもテレビドラマなどを見て話題に追い付かないといけないので、そういう生活にも疲れた、というような身の上話をしたら、早速「別に嫌ならそんな事しなければいい。自分次第でどうにでもなる事だ。私はヒッピーのような暮らしをしていたからアレだけど、でもそれは自分の選択の問題で、ドラマの話が嫌ならしなければ済むだけの事だ。」と始める。

二人の間で暫く遣り取りが続いていたが、そのうち居た堪れなくなって、「まあでも、ヒッピーの皆さんの間ではそれでも済むかも知れないけれど、大企業オーエルの皆さんの間ではそれでは済まないかも知れないしね」と口を挟むのだが、彼女は引き続きその「オフィスレイディ」女史の、または「現代日本職業社会」の現実を批判する。

「オフィスレイディ」女史は、「それは貴方が特殊な世界にいたからよ」と釘を刺す。

「釘」だったとは、今回その「ヒッピー」ちゃんと二人で呑んだ際言われて、漸く気付いたのだが、この一件以来どうやらお互いに敬遠気味の様である。まぁそうだろう。


ワタシはあの晩「オフィスレイディ」女史の家に泊めて貰ったので、その後人々がいなくなってから彼女の愚痴を聞いた。「あの娘は日本の現実が分かってない」と言う。ずっと「裏社会」を歩いて来た人と、「表社会」で真っ当な暮らしに長らくしがみ付いて来た人とでは、それぞれの「現実」が全く違うのも頷ける。

それはそれで良いのである。「違い」は誰にもあって当たり前なのだから。

良くないのは、そういう「違い」を受け入れないで爆弾を落とす「ヒッピー」ちゃんである。


しかし、「若いから」で全ては済んでしまいそうでもある。

実際その晩も、他の同僚らは皆そう思っていただろう。余りの勢いに口を挟み難くて、黙って聞いているしかなかったワタシたちである。彼女の「若さ」は周知の事実でもあり、しかしその「エネルギィ」を、ワタシたちは買っているのでもある。


今回は、ワタシひとりしか批判を受ける人間がいないのだから当然だが、「矛先」はワタシに向かって来た。

ワタシはそういう訳で日本語の適切な言葉が出て来ない事があるので、ニホンジンと話をする際には現地語単語の混ざった会話をする。それで今まで済んでいたし、大抵の人々は理解してくれていたから、自分でもそれでまあ良しと思っていた。

文章を書く際にも、実はぱっと思いつかない場合などは、カタカナにしたりそのまま現地語のままで書いたりする。

翻訳の仕事の場合はそうも行かないからちゃんと辞書を引いたりなどするけれども、普段エンピツさんやミクシィで日記を書いたりする際には、訳さない事もある。

それを彼女は、「嫌らしい」と言ったので、ワタシは一寸驚いた。

「まるで言語が出来る事を自慢しているような、しかしこんなものは長く住んでいたら出来て当たり前だし、他にも出来る人は五万といるのだから、自慢にも何にもなりやしない。うちの姉なんてダンナに付いて彼方此方住んだから、数ヶ国語が出来るし、うちは元々そういう家だから、それが当たり前。自分だったらしない。きっちり日本語で書く。そういうのは止めた方がいい。」


彼女はワタシがこの国で総合的に住んでいる年数と同じ位の年数を、この街で過ごしている。

以前にも書いたと思うけれど、この街は非常に特殊な街なので、ワタシは此処にしか住んだ事の無いニホンジンが恰もこの国の事をすっかり分かったような顔で色々言うのが、嫌いである。

と言うのも、この街にはニホンジンが沢山住んでいる所為で、色々の日本的なものに溢れている。日本語のテレビチャンネルもあれば、日本の本屋だのコンビニエンスストアーだの寿司屋だの居酒屋だのが沢山あるので、日本にいるのと同じように暮らす事が出来る。

実際毎日ニホンジンとしか口を利かず、日本語テレビを観て、日本食屋で鱈腹喰って、ニホンジンホステスのいる「ピアノバア」で呑んだくれる、という駐在員も沢山いるようである。

ワタシが以前住んでいた町にも多少ニホンジンがいたけれど、この街と比べたらそれは「胡麻塩の胡麻」と「塩に湿気除けに入れた一つまみの煎り米」程度の違いがある。

(しかも「白い煎り米」と同様に、あの町も圧倒的に「白い町」であるから、現地のニホンジンも殆ど同化して暮らしているのである。)

この街へ越して来てからも、ワタシはニホンジンと口を聞く機会は(「がみがみガール」を除いて)最近まで無かったし、日本語テレビなども観ないから、基本的には現地語で暮らしている。だから普段の会話は、注意しなかったら、日本語と現地語の「ちゃんぽん」である。尤も現地のニホンジン同士では大概そうだから、誰も問題にすらしない。

まあ、それに甘えているワタシも難だが。


それともうひとつ、彼女は家族との繋がりが良好なので、比較的頻繁に日本に帰るようである。日頃から日本の家族と連絡も取り合っているようだし、更に出産を控えたお姉さんが近隣の町に住んでいるそうで、近々お母さんが手伝いに飛んで来るそうである。

兄弟姉妹が多いというのは、それだけでいざという時頼る相手として、「心の拠り所」になるだろうと思う。

いつも喧嘩ばかりで嫌いだから頼りになんかしていない、などと言う人々もいるが、実際「いざ」という時になったら、連絡を取り合い安否確認をするだろう。住処が無くなったら、暫く居候くらいさせてくれるだろう。

そういう「当て」に出来る人がいるかいないか、というのは、割と大きな問題である。

それは心の支えとなり、「精神的安定」の根底を築く。

普段から連絡を取り合えるくらい親しい家族に恵まれた人は、それだけで幸せである。

それが異国暮らしであれば、そして更に近所に住んでいれば、尚更。



翌朝「アルカセルツァー」を飲みながら、ふと思う。

彼女と二人きりで呑むのは、結構疲れるな。何しろ何時「爆弾」が飛んで来るか知れないのだから、気を許せない。

彼女はワタシにはそれなりに尊敬を払ってくれている様子でもある。こうして時折一緒に呑もうと誘ってくれるところを見ると、友達として認めてくれているのだろう。

ワタシもその昔、「怖いもの無し」で「全快バリバリ」(こんな事を言うと時代が知れるかしら…)だった頃がある。

いや、それでも流石に目上の人に説教は垂れなかったけれども、同世代や年下なら平気でやっつけていたような気がする。それは酒が入っていようがいまいが関係無かったから、もっと始末が悪い。人の事は言えない。


そういえばもうひとつ、彼女と呑んでいる際出て来た話で、例えばワタシたちのいる業界では自分のついているボスの意見と違う事は発表し難い、というのがある。

ワタシと別の同僚は、そういう場合には自分の業界人としての生命に関わるので、悔しいけれども中々出来ないと言ったのだが、彼女は「相手の言ってる事が違うと思ったら、それが誰であろうと幾らでも違うと言ってやる。それが言えないのなら辞めてやる」と言う。

「では今度新しい場所に行ってそういう状況になったら、是非試してごらん」とワタシは言う。彼女が今度行くところは、今よりもっと保守的で上下関係が厳しいところとして知られている。

ある意味、彼女はこれまでそういう状況に遭遇しなかったか、痛い思いをしないでやって来れた訳で、「お目出度い」という事なのだろう。

確かに、彼女は幸運な人である。

彼女が今度行く場所からは、ボスの紹介のお陰で良い待遇を受ける事になっているし、その面倒見の良いボスのお陰で「賞与」も貰っている。そのボスの紹介で、別に幾つか仕事も請け負っていると聞く。彼女はワタシの同僚らの中でも、かなり恵まれている方と言えるだろう。ワタシも実は、一寸嫉妬さえしている。



世の中、「運の良い人」というのは、いるものである。

「爆弾少女」は、このままやっていけるのかも知れない。

そうでないとしても、どうせもう会わないのだったら、どうでも良い事である。居るうちだけ底々の付き合いをしていたら、済んでしまうのだろう。

それもなんだか淋しいが。



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