せらび
c'est la vie
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みぃ


2006年03月04日(土) 至極当たり前の事共

星回りの所為もあるのだろうとは思うのだが、ここ数日日々の暮らしがなんだか詰まらない。近頃では、ヴォランティア活動に対する意欲も薄れて来ている。

これについては、「ネタが切れて来た」という問題もあるだろう。

夏場だったら戸外で公園の植木の手入れだとかペンキ塗りだとか、またはキャンプサイトの整備や川下りなどの子供たちの課外活動のお供など、愉しみなものが沢山あるのだが、冬場はどうしても屋内の活動が多くなってしまうのでいけない。暖かいのは良いのだが、やはり屋内活動は詰まらない。これにはワタシの性格に因るところが大きいのだろうと思う。

家の無い人々や老人らを対象にした食事提供活動は寧ろ冬の方が多いくらいだが、例の「挙動不審な女」絡みの一件が発展して以来ある馴染みのスープキッチンには当分行かぬ事にしたので、他所のスープキッチンを開拓中である。しかし中々「此れ」というものに出くわさないのも、問題である。

というのも、彼女が再び映画鑑賞の活動にやって来て我が物顔であれやこれやと取り仕切ったりなどしたので、長らくその活動の連絡担当をしている女性とワタシの不審感を大いに募らせる結果になったのである。彼女の余りの厚かましさに呆れたワタシは、その日を最後に当分その映画鑑賞の活動への参加を見合わせる事にして、更に彼女がほぼ毎週出没する某スープキッチンでの食事提供活動の登録も外して、兎に角彼女とは顔を合わせないで済むようにしたのである。

少々大人気無いかとも思ったのだが、しかしこれはあくまで「ヴォランティア活動」であり金を貰わずに自ら進んで他人の為に働いてやっているのだから、せめて自分が嫌な思いをしながら無理強いするような活動はしたく無い、また気に入らない人間に無理に付き合ってやる事も無い、という辺りに思い至り、漸くワタシは納得したのである。


この一件を機に、ワタシはこれまでのヴォランティア活動に対する取り組み方を見直してみる事にした。

ここ暫くは、気が付いたらまるで義務か何かのように、毎週何かしらやらねばならないような気がしていた。何かスケジュールを入れなくてはと駆られているようでもあった。

以前なら活動内容の好みで決めていたのが、最近は特に好みのものが無いのにそれでも何か探し出してとりあえず埋めるというようなところがあって、それは最終的にはその作業に対する取り組み方にはっきりと反映されてしまうという事に気付く。

大してやる気が無いのに、しかし行かねばならないと自分を縛り付けた結果、予定の時間に遅れて行ったり、はたまた見事に当日すっぽかす羽目になったり。幾ら無償とは言え、ドタキャンは他のヴォランティアや連絡担当者に対して失礼である。

それでワタシは、もし特にやりたい活動内容がリストに無いのだったら、無理に週末の貴重な一日をヴォランティア活動に充てる必要は無い、その分家でのんびり過ごせば良いのだ、と決めた。

好きな活動内容がリストに登場したらそれに登録すれば良いし、無ければ無いで空けておけば良い。毎週欠かさずボランティア活動をする程「良い人」で無くても、全く構わない。だって他にもやる事はあるのだから。

やりたかったらやる、やりたくなかったらやらない。

至極当たり前の事だけれども。



今日は、ワタシの気に入っている活動のひとつ、街の学校図書館の整備をする活動をしに出掛けて来た。

これは実は希望者が多くて既に締め切られていたのだが、その活動の担当者と偶々別の活動の際出くわしたので、もし欠員が出たら是非共ワタシを混ぜてくれろと頼んでおいたら、数日後実際そのように取り計らってくれたので、大変助かった。

この図書館整備の活動はほぼ一日掛りで、更に殆ど立ちづくめなので大変疲れるのだが、それでも毎回大いに充実した活動が出来る。他のヴォランティアの人々もてきぱきめりめりと作業をこなして行くので、ワタシも参加していて非常に楽しいのである。


いつものように、現場に到着すると、珈琲とドーナツの朝ご飯が待っている。

今時珍しい、天井の高い作りの古めかしい図書館の内装を眺めながらそれらをつまんで、じわじわと目を覚ます。

作業に取り掛かって暫くすると、図書館司書女史がピザパイをオーダーしてくれたのが到着する。

あつあつを頬張りながら暫し休憩して、他の人々が何時の間にか成し遂げた成果に目を見張りながら、また作業再開である。


この高校の図書館では、倉庫一杯の古い本を大量に捨てなければならないから、もし欲しいのがあったら遠慮無くお持ち帰りを、と言われたので、ワタシも気になった幾つかを頂いて帰って来た。

中でもバルコニーのようになっている中二階の、しかし残念ながら同様に倉庫と化している区域で偶然発見した某専門雑誌の1975年版には、その昔運悪く兄弟続けて暗殺されてしまった政治家のうちの弟の方が寄せた、対ペルシャ湾岸地域政策に関する画期的な記事が載っていて、ワタシは作業を放置して思わず見入ってしまった。

表紙や頁はすっかり茶ばんで無残だが、ワタシは何やら「お宝」を発掘したかのような気分で、ひとりにんまりとしながら、暫し眺める。

実際、古い蔵書を抱える図書館というのは、正に「宝箱」なのである。

今時の高校生にはかび臭くて目もくれたくない、只のゴミにしか見えない代物かも知れないが、あの図書館には恐らく他にも沢山の「お宝」が埋まっていたのに違いない。

いつもの図書館プロジェクトとは一寸違って、今回は自分自身の知的好奇心を満たす出来事があったのに少々驚きながら、ワタシはまた大いに満足して帰途に着く。

しかし、昨夜は税金関係の書類作成の為に殆ど徹夜に近い状態になってしまったので、帰りの電車の中では流石にどっと疲れが出る。

当たり前だが、やはり夜は寝るべきである。



帰宅後、奇妙な議論を発見する。

先日新聞で、ブッシュ大統領がアフガニスタンへ「電撃訪問」を成した後印度へ移動した丁度その頃、後日訪れる予定のパキスタンのカラチの在パ米総領事館周辺にて爆発事件があった、と知った。

その際は、一連の「電撃訪問」計画は安全の為に極々内密に進められていたからこそ「電撃」の筈なのに、「なんだ、テロリストにはすっかりバレバレじゃないの」と思わず笑いこけた。

それに少々関連して、今日はインターネットの某コミュニティにて、ブッシュの対印度核兵器関連政策は対イランのそれと全く異なり、「ダブル・スタンダード」である、などと日本の同業者と思われる人々が書いているのを発見して、驚いた。

ちなみにこの件については、新聞などの報道を日々追っていれば明らかなのだが、亜米利加は欧州各国が既に印度政府に接触し、こちらに取り込みつつ西側基準を徐々に受け入れて貰うよう働きかける、という作戦に呼応しているのに過ぎない。当該地域情勢の現状から言っても、印度に「核兵器を諦めろ」と言うのは甚だ現実的で無いので、これ以外に西洋諸国としては打つ手が無い、というのが実際である。

その二ホンジンの「専門家」の筈の人々は、一体何を勘違いしたのだろうか。在りがちな「矢鱈滅法な亜米利加批判」だが、まるでそれは根拠の無い「コンスピラシー・セオリー」をプロ自ら煽っているかのように聞こえて、ワタシは甚だ不愉快になる。

プロが専門分野で口を開く場合には、ちゃんと自分の説を証明出来なければならない。そうでなければ、それは業界全体に対する「冒涜」であり、真面目にやっている本当の「専門家」に対する侮辱である。無闇に「専門家」であるなどと騙(かた)ってはいけない。一般人は騙せても、本当の専門家にはお見通しである。

この業界の人間なら直に「裏」に気付くような事なのに、これはその某コミュニティのレベルが低いという意味なのだろうか。読むだけ時間の無駄なのだろうか。

自問自答する。



きっと疲れているのだろう、ワタシ。

さっさと飯を喰って寝るが良いと思う。



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