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みぃ
去る月曜で、漸く語学講座の終了試験が終了した。一寸回りくどい表現である。 結論から言うと、思った程怖くなかった。 試験はそれぞれの学生の専門分野に応じた内容の論文や本から抜粋したものを訳す事になっていた。 ワタシの場合、広範な意味で言うところの専門分野の「理論」、つまりそれはどちらかと言うと「哲学」に限りなく近いものなのだが、しかしワタシの直接の専門では無い領域である。 しかしそれが出されると既に申し渡されていたので、これはえらい事になったと慄いていたのである。 だから準備と言ったら、時制をとりあえず正確に把握する為に教科書のおさらいをするくらいで、大昔に読まされたルソーだのマキャベリだのを引っ張り出して来て読み返す等という手間は取らなかった。と言うより、そんな事をやっている暇は無かったのである。 ところが、実際蓋を開けてみると、それは「哲学」と言うより「歴史」の問題であった。 しかも、相当短期間しかないこの国の歴史のうちの、更に限られた一時代の、更に「土地法」に関する内容の話であった。 個人的には全く関連の無い内容だが、しかしこれは寧ろ好都合であった。 何しろ、過去完了や仮定などの面倒な時制が、殆ど出て来なかったからである。つまり、過去に起こった出来事の叙述のみ、という極めてシンプルな題材であった。 現代の外交文書なんかだったら、異なる時制が一杯出て来て、時間内に終えられなかったかも知れない。 やはり神はワタシを見捨てなかった! と再び俄か信者になる。 これが別の専門領域の人々になると、そう簡単には行かなかったようである。 例えば文学専攻の人々には、叙述と批評の二問あったそうで、そのうちの批評の方は大変難しかったそうである。 しかし似たような内容の小論文が、教科書だったか「リーダー」という付属読み物集だったかに出て来たらしく、あるクラスメイトはそれをおさらいしなかったと言って、自分に憤慨していた。 ワタシなどは文法のみで小論文関係には一切手を付けなかったのだが、と言うかそれどころでは無かったのだが、それでも時間内に一通り訳し終えたし、読み返しながらお清書までして、訳文の流れを整えたり等も出来た。二三のミステリアスな単語や時制が文中に突如現れた以外は、然したる問題も無く、あれならばまあまあの出来であろうと思われるので、しかしそれを言うと彼女に済まないような気がして、余り口を挟まない事にした。 終わった!やっと終わった!兎に角終わった! そういう訳で月曜は、自宅でひとり打ち上げパーティーをする。 そうか、もう寝床に教材を持ち込んで、テレビを流し観しながら語学の問題を説かなくても良いのだ! 我が物顔でテレビを観ながら、ビールをちびちびとやる。 なんだ、暇だから、本でも読もうかな、なんつって。 読まなければならない義務的本では無くて、趣味の本棚から適当に引っ張り出して来て、ぱらぱらとやる。 ふむ。これは中々贅沢な気分である。 お預けにしている本来業務にすぐさま取り掛からなければならないという事情を暫し忘れて、数本のビールを空ける。
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