せらび
c'est la vie
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みぃ


2005年01月24日(月) 生活・人生全般を簡素化する心がけ、またはシンプルライフ、その七

大雪の所為か回線が繋がらなかったので、週末に更新する予定がずれ込んだ。


昨日は朝四時に起きて、コーヒーを飲みながら作業をした。六時半を過ぎてそろそろ腹ごしらえを、と前日買っておいたカレーパンをひとつ食べる。食べ終わって、またコーヒーを入れに台所に立った序でにブラインドを開けたら、東の空が真っ赤っかに染まっていた。

暫し見入る。

この週末は吹雪との事なので、朝焼けが天候の崩れる予兆という説は、当たりである。それにしても、早起きは三文の徳というけれど、朝からひとつ仕事を片付け、目に沁みるような朝焼けを拝んで、ワタシは何だか気分が良い。吹雪の中出掛ける用事は無いし、今週末はずっと家で作業に勤しむ予定。ここでもう一つ、懸案の大仕事を終わらせないと、ワタシの人生上非常に不味い事になるのは必至なので、やらないわけにはいかない。自らに鞭を打ってでも、やらねばならない。


ところでワタシの住んでいる街はこの所とんと寒くなってしまったので、この話は誠に気が引けるのだけれども、しかしこの話だけしないで置く訳に行かないので、心を鬼にしてやることにする。

所有物の中の不用品と言えば、衣類はその代表格ではないだろうか。ワタシもご多分に漏れず、衣類はどっさり持っていて、時折間引くようにしているのだけれども、それでも引越しの際などには随分呆れる事がある。

初めてこの国にやって来た頃は、丁度今頃の極寒期であった。その際、スーツケースに入るだけの冬物をみっちりと詰めて来たのだけれど、しかし限りがあり、嵩張る毛製品などはやはり数が入らなかった。それで別途冬物と夏物を、それぞれ一箱ずつ郵送する事にした。そこで、箱が届くまでの間に、衣類を少し買い足す必要があったのである。

当時は大学内の寮に住み始めたのだけれど、この国の学生というのは何しろ忙しいので、そう頻繁に洗濯などしていられない。特に大きな試験が近くなったりすると、平気で半月とか一ヶ月の間洗濯物を溜める事になるので、そういう事態に備えて、大概は靴下や下着類、タオルなどの予備を数多く持っている。肌に直接当たる物は幾らあっても困らないという訳である。

それでワタシもそういう生活に習って、肌着だけは大量に持つようになった。

洗濯事情という事で言えば、この国の多くの地域では、外に洗濯物を干すという習慣が無い。それは干す場所が無いという住宅事情が大きいだろうし、場所によっては治安の問題もあろうし、また実質日照時間が少なくて洗濯物が乾かないという問題もあるだろう。

ちなみに今住んでいる地区では、偶々外に洗濯物を干す習慣のある南国からの移民が多い所為もあって、裏庭にはたはたと洗濯物が翻っている光景を良く目にする。例えばうちの大家さんなどもそうだが、そしてちなみに今日は雪が降っているのだけれどそれでもまだ干しっぱなしになっているので一寸心配だが、しかしこういった光景は、国全体として見ると甚だ例外的である。

それで殆どの人が、大きな容量の洗濯機で一気に洗って、乾燥機で一気に乾かす、という方法で洗濯を済ませている。これは庭付き一戸建てでも同様である。ワタシの住む街などでは洗濯機の設置が制限されているアパートが多いので、そういう場合はアパートの地下や近所にあるコインランドリーに行って、一度にニ三台の大型機械を使い回して同時進行でやる事になる。そうすると、何週間溜めようとも、別段不便は無い訳である。

それを想定して衣類も作られているから、それなりに随分頑丈に出来ているのだけれど、それでも乾燥機を数回掛けるうちに、Tシャツなどの薄いものは所々に穴が開いてきてしまう。尤も少々の穴では誰も気にしないので、ワタシも平気で着てしまうのだけれど、流石に穴がでかくなってくると、表に出して着るのは憚られる。

必然的にTシャツやら靴下やらパンティやらの消費の激しいものに関しては、数を幾つか着まわして、痛んできたらまた幾つかずつ買い換えて、という様なやり方になる。衣類の消耗の度合いは、日本と比べて幾分激しいと言えよう。


前置きが長くなったけれど、兎に角そういう訳で、ワタシの手持ちの衣類の数は、最初の数年間で思いの他増えてしまったのである。

この街に移って来てから知り合った二ホンジンは、一様にワタシの衣類の多さに驚いていた。それでも減らした方なのだけれど、こちらの学生生活を経験していない人には、どれだけ忙しいのか想像が付かないようである。

そうこうしているうち、漸くワタシの生活も少し落ち着いて、洗濯物の世話くらいは何とか小まめにこなせる様になって来たので、これなら衣類の数をもう少し減らしてもいいかと思うようになったのである。

ここ数年は、風呂の序でに下着も洗ってしまうようにしているから、実質的には数枚の予備があれば足りる。これでは、まるでバックパックで旅行をしている時の様なもので、手洗いが特に苦にならないのはその頃取った杵柄というものか、と苦笑してみたりもする。

そこで、細かい算段だけれども、例えばパンティは念の為一週間分を残すとしても、ブラジャーは必ずしも同数無くても良いだろうとか、靴下も一週間分が目安だが、夏と冬で厚さが違ってくるから、それぞれに一週間分程度はあった方が良いだろうか、等という事を考えている。

おズボンもまた、ジーンズなどのオールシーズン用と冬用の厚手のものが、それぞれニ三本ずつあれば良いだろうとか、スカート類は冬場は滅多に穿かないから、夏用のワンピースやサマードレス類が二三枚もあれば充分だろう、とか、またワタシは布も巻いて着てしまうから、まともなスカートやドレスは大して要らないかしら、などと彼是考えを廻らせてみる。

セーターやスウェットシャツなどは、ここ数年出来るだけ嵩張る厚手の物を避けるようにしているのだが、それでもまだ数がある。以前の日記でも述べた様に、ワタシの場合は寒さに対する幼児期以来のトラウマが抜けないようなので、これは泣き所でもある。これまでに述べたようなこの国の学生事情や寒冷地域事情等と相まって、これは中々難しいところである。

そういえば、以前住んでいた街はこの国としては極平均的な暖房事情で、屋内はどこも集中暖房システムに拠り冬でも暑い位に保たれていたのだが、今の街ではどこも室温が幾分低く保たれているような気がする。訴訟の件の際述べたような、大家の勝手で暖房を入れて貰えなかったアパートというのだけでなく、ワタシがこれまで住んだ所は、平均してどこも寒めだったように思う。

これはワタシの家運が悪かった事に加えて、この街のガス料金が他所より高い所為ではないかと推測する。

冬でも屋内が暖かくて、半袖でも過ごせてしまうような土地なら、その上に着る中間着はまあ何でも良くて、外にしっかりした防寒用コートを着れば充分である。しかし屋内も薄いシャツ一枚では寒いという状況だと、例えば綿や絹などの肌着にしっかりした毛やフリースなどの中間着が必須となり、外出時には更に厚手のセーターやダウンのコートなどを着込む事になるので、着替えにこれを幾通りか用意しようとすると、必然的に衣類が増えてしまうという訳である。

こういう事は、寒い地域に住んでいる以上はある程度止むを得ないのだが、例えば肌着を替えれば中間着は着たきり雀でもまあ良しとする、というような割り切りで全体の数を減らしていくしかないだろうと思う。それに厚い毛のセーターなどは、数が多いとその分洗うのも手間なので、やはり少数精鋭にすべきだろうと思う。

ここ近年は、心掛けてこれらの衣類を減らすようにしている。セーター類のうち、特に忌まわしい黒のものは、近頃ワタシの好みが変わってきたという事情もあって、快くお役御免にする事にした。その他、買った癖に気に入らないで結局着なくなってしまったおズボンやジャケットなどの箪笥の肥し類も、いずれ寄付へ持って行く袋へ入れてある。

お陰でクローゼットが空いてきて、目が行き届くようになったのは喜ばしいのだが、しかし今後は「気の迷い」で服を買うというような愚挙は慎まなければならないと、自分を戒めている。



ところでシンプルライフ業界の人々がよく、「旅するように暮らす」というコンセプトを提案しているけれど、そしてワタシもそれは良い考えだと半分くらいは思っているのだけれど、しかし実際問題として、少ない衣類や物を自力で運んで旅をした経験が無い人には、それをやるのは無理があるのではないかと思う。

尤も全ての人々にバックパッキングを勧めている訳ではないのだけれど、スーツケースという力の要らない入れ物では自分に痛みがないので、どれだけ不要な物を持って出掛けて来たかという事実が見え難いのである。

そうすると、例えば一週間の旅行の為に一週間分の衣類の組み合わせをそっくり持って行くとか、念の為と言って不必要なガラクタ類まで彼是と持って出掛けるというような事が出来てしまうので、自ずと荷物が増える。

恐らくそういう人々は、そもそもシンプルライフなど心掛けていないのだろうから、これは全く無意味な話であろうか。

しかしそうではなくて、荷物や人生に対する執着を一掃してシンプルに暮らしたいと思うワタシのような考えの持ち主なのだとしたら、例えば一週間の旅行の為にニ三組の上下をどうにか組み合わせてあらゆる状況に間に合わせる、というような技術が無いと、今家にある多くのガラクタの中から如何にして有意義に使いまわせる物だけを残すか、というような算段は出来ないのではないだろうかという話である。

同様に引越しも、持ち物を見直す良い機会である。何度も引越しを繰り返して、荷物が多いというのは移動の際如何に手間暇や金が掛かる事か、というのを実際に味わうと、要らぬ物は出来るだけ持たないに限ると思えるようになる。

これが例えば、企業などにお勤めで、引越しの際にはいつも会社持ちであるとか、箱詰めから荷解きから全てを業者にお任せというような事情だと、スーツケースの旅行と同様に痛みが感じられ難いので、効果は無い。


それにしても、旅行に出る度他人に彼是と土産物を買って帰る習慣というのは、そろそろ止めに出来ないものだろうか。

人を訪ねる時の手土産の習慣というのは、余所の国でも、例えばパーティーなどに呼ばれて酒を持って行くだとかいうように、無い事もないけれど、しかし旅行に出掛けて行くというのはそれ自体出費の大きい事なので、そこへ更に土産を買って来いというのは、旅人に対して酷な話ではないか。大して親しい間柄でも無い人にまで、大した物でもない物を買って行ってやるというのは、実際何処まで意義があるのか、疑問である。

しかもその為のスペースを空けて置かねばならないという頭があるから、旅人の中には、行きはスーツケースの半分しか荷物を詰めず、帰りはパンパンに膨らませてというのが出てくるのだが、この義務化した習慣が無ければ、自分が持ち帰りたい物だけ買って帰れば済む訳で、そうすると人によっては出掛ける時の入れ物は小さくても足りるというのが出てくる訳である。

まあ外国で珍しい物を沢山見つけたからと、彼是買って帰りたくなるのを止せとは言わないけれども、しかし実際現代の日本に於いて、発見出来ない世界中の逸品名品というのが果たしてあるだろうか。ワタシの友人らを見ても、偶の帰国の際に特別土産物の指定が無いところを見ると、日本で手に入らない物など殆ど無いからではないかと思われる。

または、ワタシの友人らは偶々要るものは日本で間に合っていて、特に不足を感じていないという事なのだろう。自分の身の程に合わせて過不足無く生活する、というのは、重要な事である。


兎も角ワタシの当面の目標としては、嫁入りは別として、次に他所へ引っ越す際には、思い切って今の寝具を放棄して布団生活にし、服の数も半減させ、本や書類も僅かにして、すっかり身軽になろうと思う。長年ワタシを脅かし続けたしがらみの山、これらを一掃出来れば、ワタシの人生もきっと新たに始められるに違いない。


という事で、次回はいよいよ、〆。


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