せらび
c'est la vie
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みぃ


2004年10月15日(金) ほとんど日記じゃないけれどまあ気にするな

そういうワケで最近のワタシはちょっと用心深くなった。もちろん言わなければならないことは言わないと誰も面倒などみてくれない土地だから、それなりに主張はするけれど、そういうことを言う相手も選ばないといけないと思うようになった。残念なことにワタシの住む業界では、いつ誰が敵に回るか分からないところがあって、全ては自己責任において心身の安全を確保せねばならない。

何年か前はまだそれに慣れなくて、大学以来の旧い友人にまで突っかかったりしたこともある。ごめんよ。きっと許してくれていると信じているが。また時には遠く離れた友人に愚痴や不平を訴えたりしたものの、相手はワタシの置かれていた状況を恐らく理解し得なかったろうし、手ごたえの感じられない返事に更に気が立ったりするワタシの扱いにもさぞ困ったろうとも思う。これはワタシの母も多分同様に手を焼いたろうと思う。実の母親でないからなのか知らないが、とにかく彼女は一切の連絡を絶ってしまったのだから、ワタシとしてはほとほと困り果て、酒と薬と男に頼る生活を余儀なくされてしまったのも致し方なかろうと思う。

えっと、何のハナシをしてたんだっけ・・・ あ、そうだ、だから自己責任。いや安全確保。

最近のワタシは随分と異国での生活にも慣れてきて、まあそれなりに暮らしているけれど、この街は割合と大きいところなので、その昔は凶悪犯罪が絶えなかった。一番最初にやってきたときは、ワタシはまだ二十歳そこそこの学生だったのだけれど、その当時は道を歩くにしても、前後左右にぎろりと睨みを利かしながらの大仕事だった。なんでまたそんな街を初めての土地に選んでしまったのか自分が知れないが、なにしろとにかく当時のワタシには憧れの大都会だったのだから仕方がない。日本でも都会に生まれ育ったのだが、おそらく早く日本から、または実家から出て行きたくて仕方が無かったのだろうと思う。生まれて初めてひとりで出掛けてきたワタシに、この街はとても刺激的だった。ガイドブックやパンフレットに出ていたことは、一通りすっかりやってみた。夢にまで見た劇場で、すでに演目が変わってしまっていたのを知ったときは、すっかりがっかりした。地下鉄は怖いからと、ボラれないよう細心の注意を払って乗ったタクシーも、それより外が見えた方が心強いからと乗ったバスも、映画でみたのとおんなじように汚かった。

あれから十数年経った今も、この街は汚いし臭いしゴキブリやネズミはうようよいるし物価は高いし人もぞんざいで失礼だけれど、それでも多くの人々を世界中から引き寄せているようだ。毎日毎日、目を輝かせてはバカ口を開けてあちこち見上げている観光客をたくさん見るよ。彼らは本当に楽しそうだ。

でもワタシはもうすっかり、オナカいっぱいになってしまったのよねぇ。

そう言っては罰当たりだと言われるかもしれないけれど。

でもそうなのだから仕方がない。

元々この街には観光でやってきて、さんざん観るものも観たしで、もう当分訪れる予定はなかった。しばらく他の街にいて、拠所ない事情により他所へ移動することに決めてから、いろいろあたってみたのだけれど、まさか結局またこの街に戻ってくるようになるとは思わなかった。

久しぶりのこの街は、随分綺麗になっていた。人も、元いた土地に比べると数段親切でにこやかだった。でもそれはほんのごく一部の人であることがいずれ判明するのだけれど、久しぶりの都会はなにしろ心地よかった。いざ本格的に活動開始となってからは、それも不便極まりないし不愉快な出来事も多いしなにしろ融通が利かないし、とんでもないところへ越してきてしまったと嘆いたものだ。元の街に帰りたいと何度思ったことだろう。でもそこはワタシにとっては帰る場所ではなく、再び訪れる機会すらもはやないであろう、通過点に過ぎないのだけれど。

とにかくこの街はすっかり安全で(比較的)綺麗になっていた。ワタシの知るほとんど全ての友人が、この街はエキサイティングで住めるだけで光栄なことだと言う。多分そうだろう。そう思わない人は、恐らく住むべきではない街。猫に小判。ワタシはまさにその猫に違いない。


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