せらび
c'est la vie
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みぃ


2004年10月11日(月) ひとが寝静まった夜更けにひっそりと日記をシタタメル

そういうワケでワタシはたまたま国外に出て暮らすようになって随分と時が過ぎたのだけれど、そうこうしているうちにいろいろと気になることが出てきた。実際、些細なことなのだが、文化の違いをしみじみと感じるなどというのは可愛いもので、そんなことよりもっと腹の立つことも出てきた。いわゆる不条理というやつで、でもよくよく考えてみるとワタシという人間は昔っからそんなのによく纏わり付かれて困っていたようにも思う。

そうそう、よく考えてみたら、確かにその通りだよ。例えばその昔、共働きの両親を持ったワタシは、毎年夏休みになると母方の実家へ有無を言わさず追いやられていたのだけれど、あるときには伯母からなんと「ウソツキ」呼ばわりされたのだ。当時中学の英語教員をしていた伯母は、ワタシと近所の同世代の期間限定遊び友達をよく学校のプールへ連れて行ってくれた。元来日本人的に言うところの目が大きめなワタシは、大概目を真っ赤にしてプールから上がってくる。ゴーグル無しで泳ぐのだから、物理的にどうしても無理があるんだな。そうすると彼女は、帰る前によく目を洗うようにと言いつけるわけだが、洗っても洗ってもワタシの目はいつも真っ赤っかで、そうしてそのまま帰途に着く。そして夕食時、別の伯母があら目が赤いじゃないと指摘する。すかさず例の伯母が、あれほど目を洗えと言ったのに、言うことを聞かない子だ、と言う。ワタシは、ちゃんと洗ったもんと言い返すが、すると、いやこの子はウソをついているんだ、と言う。そうなるともう、他の家族は何も言わない。皆黙々と食事に専念するのだ。

ああ、嫌だな、いろいろ思い出してきちゃったよまったく。とにかく当時のワタシは、仮にも教員のくせにいたいけな少女を疑うなんて一体どういう了見だとひとり憤っては、ご先祖さんの祀ってある仏壇のある部屋へ行って、ご先祖さん相手にあんたたちはいったいどういう育て方をしたのだと、お小言を言いながらしくしく泣きべそをかいていたわけだ。だって誰も加勢してくれる人なんていなかったのだから、思い出しても我がことながら不憫に思う。あれは絶対、ワタシが貰い子だったからに違いないと思う。多分。

しかしそのうち中学に上がると、さすがにもう田舎へ追いやられずに済むようになってほっとしたのだが、その伯母からは祖母の法事で訪れたときにもまたなんだったか意地悪を言われたような記憶がある。そしてまたワタシは得意のご先祖さんに告げ口をしに、こっそり仏間に籠もるわけだ。

なにしろそういうことだから、謂れのない疑いをかけられたりするのは慣れっこだったのだけれど、とはいえそういうことが幼少期以降も続こうとは思いもよらなかった。特に国を出てきてまでそういう仕打ちが待っていようとは、本当に予想もしなかったことだ。でもよくよく考えると、これまで慣れ親しんだ「常識」とここいらの人々にとっての「常識」は随分と違うものなのだから、それはそれで納得のいく道理でもある。

しかしどんなに辛くたっても人の道にだけは反しないようになんて心がけていると、時折間抜けな目に遭ったりもする。ナイーヴなんて言葉が聴かれるようになったら、ちょっと注意しなけりゃならない。なにしろそれは可愛らしい意味なんて全くなくて、むしろ頓馬か間抜けといった方が正しいのだから。そしてここいらの人々は、それを大いに嫌っている。

つづく。


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