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■ エルサレムの平和のために祈れ
聖書通読は詩篇122篇でした。
有名な「エルサレムの平和のために祈れ。」のところ
です。
今週教会で配られた教団の読み物にもこの個所が書かれ
その文章を書かれた方が
イエス様が再臨されるのはエルサレムではないと
書いておられたので驚きました。
それを信じているのは「聖書を神のことばとして
そのままに信じてる人たちだ。」とあったので尚
驚きました。
私の教団もかなりズレて来ている・・・
母でさえ「あなたがたが見たときと同じ有様で
またおいでになります。」(使徒1:11)を挙げ
聖書に書いてあるじゃん!と憤慨していました。
その122篇を読みました。
エルサレムの平和を祈るのは、やがてそこに
「平和の君」イエス様がおいでになり
(私は字義通り信じます)
そこから正義と公正をもって、
世界を統治なさるからです。
解説で、エルサレムの平和を祈る者は、
イエス様が王様であることを認め、服従する。
と書いてありました。
それとは逆に
世の終わりのとき、ハルマゲドンの戦いが起こると
聖書の預言されています。
詩篇2篇にもそのことが書いてあります。
”なぜ国々は騒ぎ立ち、国民はむなしくつぶやくのか。
地の王たちは立ち構え、
治める者たちは相ともに集まり、
主と、主に油をそそがれた者とに逆らう。
「さあ、彼らのかせを打ち砕き、
彼らの綱を、解き捨てよう。」”
(詩篇2:1〜3)
これもハルマゲドンの戦いのことです。
イエス様を王様とし服従することを拒む者たちが
世の終わり、反キリストに従って
神様と、イエス様とに逆らってメギドの丘に
集結します。
そして主に戦いを挑み、滅ぼされます。
その反キリストの霊はすでに働いているでしょう。
「さあ、彼らのかせを打ち砕き、
彼らの綱を、解き捨てよう。」
の意味が分からなかったのですが、
「キリストの掟、かせ、綱」と考えたら分かりました。
今、もうすでに、そのようなことが起きています。
皆、神様の言うことに耳を貸さず
自分の考え、人間中心の考えで生きているのですから。
「エルサレムの平和」のために祈り
今の、まだ終わりが来ていない今のうちに、
この王なるイエス様の方へ向きを変え、従う人が
ひとりでも多く起こされて行きますように。
2025年08月21日(木)
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