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■ ランチ
高校時代の友だちと会いました。
もう中々会えないと思っていましたが、
本当に急遽会える流れとなり感謝です。
本の話の続きというか、聖霊に導かれて歩むことの
話が出来たことが感謝です。
前にメールで送って来てくれた本の抜き書きで
こういう図がありました。
「神が造られた最高の私になる」
ジョン・オートバーグ著(地引網出版社)P166より

本は読んでいないので、この図を見て想像した事は
こうでした。
(なので、本の意味とは違うかもしれません)
この図の真ん中は、「ありのままの自分」で
思い上がってもいないし、自己卑下もしていません。
そして、神様を見ていて、
イエス様を見て、
聖霊に導かれている自分でしょう。
上の図は「思い上がっている自分」
下の図は「自信がない自分」
このふたつは、サタンがそうさせたい自分であり、
嘘つきの敵が「お前はこうだ。」と言って来るときの
図でしょう。
イエス様から目をそらせてしまっている状態でしょう。
自分だけを見ていると言ってもいいかもしれません。
私は、いつもこの3つを行ったり来たりしていて、
ときに高慢になったり、自分を無価値と思ったりして、
失敗を繰り返します。
ですが、
クリスチャンはいつも真ん中に戻って来ます。
どうしてかと言うと
神様が、聖書を通して教えてくださる自己像だから。
それが、この間書いたロマ書13:11〜14の
「服が汚れたらまた脱いで、キリストを着る」とも
繋がることではないでしょうか。
それを繰り返しながら歩んでいく。
転んだから、もうだめ。ではなく、
歩きはじめの幼児のように、また立ち上がる。
友だちは、すでに本を一度読み終えていて、
本に出て来る「聖霊の流れに乗る」
ということばを使っていたので
結局それはどういう意味かと聞きました。
そうしたら、
この図の真ん中に戻って来ることだ
と教えてくれました。
それで、先日の我が家の母との喧嘩の話もして、
この図は自分のことだと思って見ていたけれど
(それももちろんありますが)
人を見るときもそうなのだと、そのとき気づいた。
と言うと、頷いてくれました。
自分に対しても、罪を犯さない完璧な人になりたいと
理想を持ってしまい、また罪を犯してしまった。。。
と今度は急降下しますが、
人に対しても「こうあって欲しい」と理想で
見てしまいやすい自分です。(上の図)
でも現実はその人にも罪もあるので、
「なんだ。酷い人だ。」と怒ってしまいやすい。
(下の図)
けれども、その人にもやはり、自分と同じように、
いいとところも、
悪いところもあって、
弱さも間違いもある弱い羊です。
そして、イエス様がその人を愛しておられます。
その人の罪のためにも死んでくださいました。
(世の心理学も似たようなことを言いますが、
「イエス様によって」という肝心なところが
決定的に抜けています。
十字架が互いの真ん中にないと。。。)
自分も、弱い間違う羊で、
人も、弱い間違う羊。
強いのは羊飼いのイエス様。
それが教会。
そのことを、(真ん中の図)
つまり「イエス様によって罪贖われ、
神様とともにいる私たちなのだ」
「神の国の国民」「神の家族」(エペソ2:19)
と思い出すときに、
心が落ち着いてくることを話しました。
色々話せて感謝でした!
遠くまで来てくれてどうもありがとう。
また会いましょう!
「神が造られた「最高の私」になる」 (ジョン・オートバーグ)
どういう本なのかは、この動画を見ると分かります。 関心のある方はどうぞ。
→ CGN日本 「本の旅」399編
2023年10月05日(木)
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