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■ 「十字架」に来るように
今日も前半色々長々書いたのですが、カットしました。
後半だけ残します。↓
先日ここにも載せましたジョン・パイパー牧師の
本を少しずつ読んでいます。
グーグル翻訳なので意味を読み違えていることも
あるかもです。
「敵を愛しなさい」の項目にも色んな角度から
たくさんのことが書かれています。
「敵を愛する」ことは、人々からいつも愛されるとは
限らないということも書いてありました。
皆からいつも良い反応や、いい顔を向けられている
とすれば「にせ預言者」と同じになってしまいます。
「みなの人にほめられるときは、あなたがたは
哀れな者です。彼らの先祖は、にせ預言者たちを
そのように扱ったからです。」(ルカ6:26)
またサマリヤの人がイエスを受け入れなかったとき、
弟子のヤコブとヨハネが「主よ。私たちが天から火を
呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」と
言ったとき、イエスはすぐさま振り向いて、彼らを
戒められました。
ですが、そのあとイエスの「一行は別の村へ行った。」
と書いてあります。
(ルカ9:51〜56)
なぜですか?
人々はまだたくさんいるからです。
とパイパー牧師は言っています。
サマリヤの町に入って行ってさらに、
人々がいい顔、いい反応を示すまで
話し合ったりしないで
次の他の村へ行ったのです。
人からよい反応をされるのが目的ではなく
神の喜ぶことをしていくのが目的
「イエスがもっとも価値のある宝」であるという
真実を離さないでいくこと。
それが結局のところは
「敵を愛する」ことにつながる。
というようなことが書いてあると思います。
それはほんのひとつの角度。
ほんと
翻訳本が欲しいです。。。
まだまだ読み途中
色んな面があると思います。
2023年06月10日(土)
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